未組立プラモ写真家。稀に組む。山登る。からぱたへのお問い合わせ、文章・写真・DJ・飲酒のオファーはTwitter @kalapattar からどうぞ
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「電卓の商品化を目指す」。 任天堂が家庭用ゲーム機に手を染めるきっかけは、現在の同社からは考えにくいこうした計画から始まる。 1970年代、任天堂の開発スタッフにはきっちり決まった目標はなかった。開発スタッフ個人が適当にアイデアを出し、それが会社の考えに合えば商品になるという時代だった。 ビジネスになりそうなネタならば玩具以外にもどんどん手を伸ばした。家庭用簡易複写機や乳母車、さらにサイン・ペンまで手がけるという具合いだった(図3)。そのなかで1971年に発売した簡易複写機「NCMコピラス」はヒット商品になった。価格9800円で、10万台以上を出荷している。 電卓を商品化しようという話が持ち上がったのもこうした流れの一つだった。ところが、開発計画がかなり煮詰まったところで電卓市場参入を見合わせることになる。 当時、電卓ビジネスは過渡期だった。たくさんのメーカが参入し、価格が1万円を切れるか
コピラスの初代機 (NCM-D-B4) は1971年7月22日に9,800円(2023年時点の31,455円と同等)で発売された[1]。これは一般的に「青焼きコピー」と呼ばれるジアゾ式複写機で、感光方法は30ワットの特殊蛍光灯による光源密着方式を採用。コピー幅はJIS B4判まで対応する[2]。 ジアゾ式複写機の原理としては、原紙と複写用の紙(感光紙)を密着させ、紫外線を当てて感光し、複写紙に残ったジアゾ化合物(文字の部分)を現像し発色させる。原紙に光を透過させるという原理上、両面印刷や本などを複写することはできない。コピラスでは、ジアゾ式の中でも片ローラーで現像液を塗布する「湿式」という方式を採用した[2]。この方式は構造が単純で安く作れること、コピー代も安くすむことが長所であった。一方で、感光紙にコピーし、さらに現像液を塗布して乾かすため、1枚コピーするのに1分は掛かり[3]、鮮明度に
Make: Tokyo Meeting で聞いて最も印象に残っている言葉は 「男の子は工具が大好きなんだ」 という何気ない一言だったりする。 ソフトウェア系の女性が会場の熱気に当てられて Gainer を衝動買いしたらしく、それを手に「これでネギを振らせるにはどうすれば良いんですかっ!」と私らに質問してきた、という状況でのお話。 その質問に答えるべく6人くらいであれやこれやと説明していた時に出てきたのが「工具が大好き」という言葉。 これを聞いてその場に居る(工作大好きな)男性陣一同深く頷いた次第。 昔、文房具店というか画材店が大好きだった。 色んな画材を見て、手にして「ああ、これがあればアレが作れる、コレも作れるに違いない」と夢を広げるのだ。もちろん、それを買っても技術が伴わなかったりして思い通りに作れるわけではないのだけれども、どう難しいのかどういった道具があればより楽に作成できるのか見
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