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communicationとhumanに関するmyrmecoleonのブックマーク (6)

  • 「おしゃべりは喫談室でどうぞ」の未来 - シロクマの屑籠

    子供が泣き出したら、隣の乗客が耳栓を... 「悲しくなった」母親の訴えに反響: J-CAST ニュース【全文表示】 【追記あり】子供の泣き声に耳栓されて心が折れた 最近、2018年にわずかに話題になったはてな匿名ダイアリーへの投稿についてのJ-CASTのニュース記事が目に飛び込んできた。2年前にも見た気がするが、当時はモヤモヤした気持ちを抱えながらも、スルーし、忘れてしまうことにした。 ところが2020年にふたたび相まみえてみると、あのとき自分が何をモヤモヤしていたのかわかる気がした。気の利いたことを書ける自信はないが、この「子供が泣き出したら、隣の乗客が耳栓をした」案件について今思うことを書いてみる。 正しいのは耳栓の乗客で、むしろ子連れの親が正しくないとしたら いまどきの習慣や通念にもとづいてジャッジするなら、正しく振る舞ったのは耳栓の乗客のほうで、それについて母親が悲しいと思うのはも

    「おしゃべりは喫談室でどうぞ」の未来 - シロクマの屑籠
  • アッカンベーの由来 - 記憶の彼方へ

    最上段:秋田県能代市の「べらぼう凧」*1、秋田県湯沢市の「まなぐ凧」*2 二段目:豊国画 歌舞伎役者が見せる「天地眼」 三段目:赤不動*3、青不動*4、黄不動*5 四段目左三つ:現代版ヒンズー教のクリシュナ神*6 四段目右端:中国神話における宇宙開闢の創世神である盤古(ばんこ, Pangu)*7 *1:http://park3.wakwak.com/~eohashi/ *2:http://www.ne.jp/asahi/narumi/clinic/gang/gang/gang_akita.html *3:和歌山・高野山明王院蔵『絹着色不動明王二童子像』(重要文化財) *4:玄朝画『不動図絵』部分。いわゆる「白描画」。京都・醍醐寺蔵。平安時代。彩色された青不動像は京都・青蓮院蔵の『絹着色不動明王二童子像』(国宝) *5:滋賀・園城寺(三井寺)蔵『絹着色不動明王像』(国宝) *6:htt

    アッカンベーの由来 - 記憶の彼方へ
    myrmecoleon
    myrmecoleon 2008/11/12
    まじないで陰部を見せるのとか,ある種のほ乳類が口をあけたりして威嚇するのとも関係がありそうね。
  • アッカンベーの研究 - 記憶の彼方へ

    笑顔の実践と並行して、花咲か爺が秘かに進めている研究に、「アッカンベー」がある。人類が発明した様々な表情の「造形(デザイン)」の中で笑顔の対極に位置するのがアッカンベーという極めてダイナミックな表情である。笑顔の実践に深みを齎すためにも、アッカンベーの研究は欠かせないはずであるという見込みである。ちょっと調べてみれば分かることだが、アッカンベーのルーツは古代の日月神話に淵源する。太陽と月は両眼と象徴的に結びつく。詳細はいずれ。 今日は、現代のアッカンベーを調べていて、へーと驚いた発見があったので記しておく。それは、なんと、その名も「あっかんべー」というタイトルの歌が発売されていたという事実である。皆は知っているのかもしれないが、私は知らなかったので、驚くと同時に無性に嬉しかった。しかも、である。アーティストが凄い。その名も「乙三(おっさん)」である。ハヤカーさんみたいではないか。彼なら知っ

    アッカンベーの研究 - 記憶の彼方へ
    myrmecoleon
    myrmecoleon 2008/11/12
    「笑顔の実践に深みを齎すためにも、アッカンベーの研究は欠かせない」「アッカンベーのルーツは古代の日月神話に淵源」
  • 人は「話題」を食べる生き物である。 | 丸山高弘の日々是電網 The First.

    以前は、 「情報」をべるとか「知識」をべるとか何とか言っていたような気がするのですが、[情報」とか「知識」ではないんです。強いて言えば『物語』のようなもの。 テレビを見ても、いわゆるしゃべくりの上手い人や、話題の豊富な人は、それなりに人気があるんですね。 そしてこれは、人だけではなく地域にも言えること。 話題の豊富な地域は、やはり人気があるんです。 たぶんこれまでの、地域活性化とか、まちづくり、地域おこしとかが、必ずしも成功に結びつかないのは、その『話題』が一過性だったりするからなんです。継続的に『地域の話題』を提供し続ける仕組みをつくることが、地域を元気にする近道なんじゃないでしょうか。 そして悲しい事に話題を提供できなくなった地域から、どんどん衰退していくのです。 さらに、これまでは「地域の話題」をテレビや新聞や雑誌などのマスメディアが取り上げてくれることが必須条件だったのですが、

    人は「話題」を食べる生き物である。 | 丸山高弘の日々是電網 The First.
  • コミュニケーションと身体性: かげうらきょうのブログ

    私が一番関心のある問題を形式化し、存立構造をモデル化して説明を与えようとすると、「人間」(フーコーの言う)以前のところで最低限の身体的な制約を与える必要がある。 このことには数年前から気づいていたのだが、まさにそれが大きな理由の一つとなって、自分の一番重要な問題については書くことを避ける状況が続いていた。 身体性の制約を理論に取り込むのがこれほどまでに嫌なのはなぜだろう。この点については、自分が問題を意識し言語化して考え始めた1980年代の時代性という点からも考えていたが、『言語』2008年6月号「コミュニケーションの身体性」特集で、神尾陽子氏の「身体性なきコミュニケーション」を読んで、大きな理由がはっきりわかった。 内容的にはそれはそれとして興味深い記事なのだが、例えば次のようなところ(ちなみにこれは要約引用的位置づけの文である): 通常の会話では、コミュニケーションは言語的要素よりもむ

    myrmecoleon
    myrmecoleon 2008/05/12
    「「みんな(みんなとは、誰だ!)身体性を伴なってコミュニケーションしている、それは当然だ、だからコミュニケーションには身体性が重要だ」という全体主義的トートロジーの中で安直に語られるべきことではない」
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