安倍晋三首相の訪米に関連して、『岸信介回顧録』(廣済堂)の一場面を思い出す。 昭和32年6月、首相となった岸が訪米し、ホワイトハウスを表敬訪問した際、アイゼンハワーにゴルフに誘われ、プレーのあと2人は裸でロッカールームからシャワー室に向かったというのだ。 アイクに誘われるまま、まさに裸のつき合いをした岸が夕刻大使館に戻るのを、アイクは自分の車で送ったという。岸はアメリカ大統領の心をつかんだのである。 翌日の本会談で岸が安保改定を申し入れると、国務長官のダレスは即、対応し、日米安保委員会の設置を提案した。アメリカ側から駐日米国大使、太平洋およびハワイの軍司令官、日本側から外務大臣、防衛庁長官を委員として、委員会は早くも8月初旬に発足し、約3年後、日米安保改定が実現した。 アメリカ政府のこの対応は、その2年前の8月に鳩山一郎内閣の外相、重光葵が訪米したときとは様変わりだった。当時、幹事長として
大学入試に次の問題が出たとする。 (1)第二次世界大戦に際して日本のA級戦犯を含む極めて少数の人間が自己の個人的意志を人類に押しつけようとした。 (2)日本のA級戦犯は文明に対し宣戦を布告した。 (3)彼らは民主主義とその本質的基礎、すなわち人格の自由と尊重を破壊せんと決意した。 (4)彼らは人民による人民のための人民の政治は根絶さるべきで、彼らのいわゆる「新秩序」が確立さるべきだと決意した。 (5)彼らはヒトラー一派と手を握った。 受験生にも大臣にも議員にも答えてもらいたい。確実に〇がつく正解は日本が「ヒトラー一派と手を握った」という歴史的事実だけではあるまいか。 反日宣伝を繰り返した米国だが連合国側は日本の東條英機以下少数者は「自己の個人的意志を人類に押しつけんとした」として非難した。米国側の主張を正確に伝えるために冒頭部分は英文も引用する。 A very few …decided t
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