文化人類学を学ぶことは何の役に立つのか、という質問を受けることがあります。最近では、学生からだけではなく、社会からそのように聞かれたらすぐに答えられるような講義が望ましいといった、くだらないことを大学内で言う人もいます(実際に「社会」がそんなことを大学教員に聞くなんてことはないのですが)。そのような質問への答えは、役に立つというのがどういう意味で聞いているのかにもよりますが、まあ、ふつうこういった質問は、直接に何かすぐに役にたつ(「お金になる」とか「就職が有利になる」とか「もてる」とか)ということを想定しているのでしょうから、その答えは何の役にもたたないということになるでしょう。けれども、あえていえば、文化人類学は、すぐに役にたつか立たないかという基準で生きていくような生き方とは違った生き方を想像するうえで、とても役に立つ学問だともいえるでしょう。というのも、文化人類学は、ひとつの社会での
残酷な ”ハクジンの作り方”、猫ならぬ新生児を壁にぶつけて殺す国、先住民の告白 (オーストラリア) http://www.asyura2.com/0601/social3/msg/428.html 投稿者 東京音頭 日時 2006 年 9 月 30 日 22:31:29: lg2/OnhcbNSWg 先日、アボリジニー女性と長く話をする機会があった。 彼女は推定40歳弱のアボリジニー女性。明日、生まれて以来一度もあったことのない姉に会うのに、とても緊張している、と言う。 私は、家庭の事情か、とちょっと思ったけれど(馬鹿な私)、よく聞いてみると、まだ一度もあっていない弟もいて、母親とは、3年ほど前、生まれて初めて会えた。という。 ベルギーに住んでいる弟もいるのよ。と写真を見せてくれた。 ヨーロッパ政府の先住民政策のことを少しでも知っている人ならすぐにわかると思うが、そう、これは、イギリス政府
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く