サキとは彼女の自宅近く、湘南台駅前のスーパーマーケットで待ち合わせをした。彼女は自転車で後から追いつくと言い、僕は大きなコインパーキングへ車を停めた。煙草を一本吸ってからスーパーマーケットへ向かうと、ひっきりなしに主婦的な女性かおばあちゃんが入り口を出たり入ったりしていた。時刻は午後5時になる。時計から目を上げると、待たせちゃったわねと大して悪びれてない様子でサキが手ぶらでやってきた。 お礼に料理を作るとはいえ、サキの家には食材が十分足りていないらしく、こうしてスーパーマーケットに寄ることになった。サキは野菜コーナーから精肉コーナーまで、まるで優秀なカーナビに導かれるように無駄なく点検していった。欲しい食材があると、2秒間程度それらを凝視し、一度手に取ったじゃがいもやら豚肉やらを迷うことなく僕が持っているカゴに放り込んだ。最後にアルコール飲料が冷やされている棚の前へ行くと、私が飲むからとチ
本音が語れるエンジニア参加型メディア「@IT自分戦略研究所 エンジニアライフ」。日々、ITエンジニアの「生の声」を公開している。 ここでは、編集部の独断と偏愛によって選んだコラムをテーマ別に紹介していく。今回のテーマは「休日・余暇」。世間はゴールデンウィークに突入した。「ゴールデンウィーク? 何それ、食べられるの?」といわんばかりに仕事をしている人も、「寝て過ごします」という人も、充実した「余暇」について考えてみよう。 仕事を忘れて、充実した余暇を サイオステクノロジー CTOの山﨑靖之氏は、余暇の重要性を次のように説明する。 「わたしが日頃の仕事のやり方で大事だと考えていることは、仕事と余暇の切り替えです。これは、単にうつ病防止ということではなく、仕事の効率アップにも繋がると考えています」 ITエンジニアは忙しい。それに加え、納期のプレッシャーや、プロジェクト内の限られたメンバーとの閉鎖
このブログをRSSリーダーでお読みの方はお気づきでないだろうが、一昨日のエントリにこういうコメントをいただいた。 残される側の論理 2010/04/23 01:59 瀬尾さん。 このあいだは、ブログネタの社員への取材、おつかれさまでした。 しかし、ちょっとそろそろ勘弁してくれませんかねぇ。 つまりけじめをつけてください。 あなたは逃げ切り世代だからいいですが、 こちらはリストラ対象者でもなく、 外部との人脈を作るほどのキャリアもなく暇もなく、 逃げ切れず、 あなた世代より上の負の遺産を背負いつつ、 死ぬほど残業してるんですが。 稼いだ利益が少しでもあなたの退職金になるかと思うと反吐が出る思いです。 私はあなたのように、暴露ブログが受けたからって舞い上がる大人にはなりたくない。 そういう残される側の思いに思いをいたすことができない人を 先輩として尊敬はできません。 同僚を売って、何が面白いの
大学院への進学は少しばかりのオツムの増大と引き換えに、かけがえのない若さ、素直さ、柔軟な姿勢を失わせしめる。 2年前、より正確には2年9ヶ月ほど前、僕は所属大学の大学院へと進学することを決定した。そこそこの成績を維持することにより得た院試免除という餌は、行動の動機の大半を「めんどくさいか否か」が占める僕にとって、それを振り切って無数の大学院を再び選択肢として並べ直させるには、あまりに魅力的に見えた。 斯くして僕は大学院に進学した。その先にはたくさんの院生がいた。技術者がいた。教授陣がいた。また、僕は主としてインターネットを介してさらに多くの院生と知り合うことになった。生物系も居たし、化学系、物理系、情報系、社会科学の院生もいた。 ともかく終了間近となった*1大学院生活を振り返って、どうも人間は専門化が進めば進むほど、ある種の気質を備えてくるらしいことを発見した。 これは決して全員に当てはま
あの映画を夢見て部活作ったら色々と青春だった カテゴリ☆☆☆☆☆ 1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/11/19(木) 21:31:29.14 ID:AqNKDd7E0 今から5年前ぐらいかな。 東北の女子高生がビッグバンドジャズをやる映画があったじゃん。 超青春映画。 当時高校入りたてぐらいの俺はその映画にいたく感動したわけ。 で、映画みたいに実際にビッグバンドの部活を作ろうと思い立ったんだ。 まあ俺男だったんだけど。ついでに友達もいなかったんだけど。 9 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/11/19(木) 21:41:11.18 ID:Y+preZpuO ガチのトランペット吹きが読んでやる 続けたまえ 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/11/19(木) 21:32:22.51 ID:AqN
先日の「物語夜話ラジオ」がおもしろかったので、インスパイアされて記事を書いてみる。 テーマは「あきらめたらそこで試合終了ですよ」。近頃、この言葉の意味をつくづく実感するようになった。そうなのだ。あきらめたらそれまでなのだ。 以前、ぼくは、この言葉を一種の根性論として理解していた。勝負が見えていてもとにかくあきらめずさいごまで全力を尽くせ、という意味だ、と。 しかし、最近ではもうすこし違う意味に解釈している。ひとは、じっさいには可能なことでも、不可能だと思い込んでしまうことがある。そしてそう認識したとたん、本当に不可能になるのだ、ということ。 たとえば、ぼくもそうだけれど、「自分は絵を描けない」というひとがいる。が、目が見えて、手が動かせるなら、物理的な意味では、描けないはずはないんだよね。 ようするにそれは「描けないと思い込んでいる」だけなのだ。もちろん、技術的な巧拙はある。そのままではへ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く