僕は直球しか投げられないバカなので、本音をぶちまけます。 僕の実家は北海道で、中学生の頃亡くなった父は北教組の組合員でした。 父方の親族は戦時中、福井県から北朝鮮の咸境北道《今、話題になっているロシア国境近くのもっとも貧しいとされる地域です》に「開拓団」として入植し、そこで敗戦を迎えました。有り体に言えば「侵略戦争の片棒を担いだ日本人の典型」かもしれません。戦後、正規の引き揚げ船は北朝鮮地域からは出航せず、家族は敗戦一週間前に徴兵された祖父を残してヤミ船で帰還しました。 船が着いたのは福井ではなく北海道。没落して故郷を離れた家族に戻る家は残されていなかった。北海道には、そうした引き揚げ者が多数流れていました。生還した祖父は美唄の炭坑で働き、家族は生き延びるために働きました。敗戦の日、少六だった父も中学には進めず、木工所で大工の修行をしながらラジオの通信教育で学び、定時制高校を経て、他人より