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ブックマーク / sumita-m.hatenadiary.com (69)

  • この「独裁者」を殺すことはできないが - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20081012/1223753840へのコメントに「「日の独裁者である「世間様」は」と言ってますが、日は民主主義国家なので、世間こそが独裁者なのは当然です」というのがあった。こういうのは正確には「民主主義」というよりも、暴民支配(ochlocracy/mob rule)というべきなのかも知れない。また、選挙などの制度としての「民主主義」が不足している体制の方が政治(国策)が「世間様」に影響される可能性は高いということも指摘しておかなければならないだろう。しかし、多数者支配としての「民主主義」にはそもそもこうした問題を孕んでいるというべきだろう。ポピュリズムの危険*1というのはその極限なのだろう。「民主主義」がベタで貫徹されてしまえば、多数ならざるマイノリティはひとたまりもない。さらに、文字通りの「独裁者」はサ

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    nagaichi
    nagaichi 2008/10/15
    これは読むべき
  • 「難解言語」など - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 楊逸という方の芥川賞受賞を巡る『産経』の論説。私は当該の作品を読んでいないので、それについてコメントすることはできない。この論説については、既にkmizusawaさんが「揚げ足を取」っている*2。 【主張】芥川賞に楊さん 日文学に大きな刺激だ 2008.7.17 03:35 第139回の芥川賞に中国人の楊逸(ヤンイー)氏の「時が滲(にじ)む朝」が選ばれた。 楊氏は中国ハルビン市生まれで、昭和62年に来日してから、日語を習得した。日語を母語としない外国人が芥川賞を受賞するのは初めてだ。日文学史上の快挙といえる。 受賞作は、1989年の天安門事件と同時期に地方の大学生となった中国の青年たちの深い挫折を描いた作品だ。選考委員の高樹のぶ子氏が「国境を越えて来なければ見えないものがある」と評価したように、日という外国から見た中国の青春群像を淡々とした文章で描いている。 日語は、

    nagaichi
    nagaichi 2008/07/23
  • 「緊急保護羌文化遺産工作基地」 - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 「譲羌笛可以永遠吹奏下去」『東方早報』2008年6月19日 6月19日に、「緊急保護羌文化遺産工作基地」が成都に成立した。四川大地震の被災地のひとつである北川は人口16.9万のうち10万を羌族が占め、中国唯一の羌族自治県であるが、「北川羌族民俗博物館」では400点以上の文物が毀損され、さらに多くの「非物質文化遺産」の継承者が地震の犠牲となった。 ところで、記事には「羌笛何須怨楊柳、春風不度玉門関」という王之渙の詩の一節が引用されているが、これは四川について詠んだものではない; 黄河遠上白雲間 一片孤城万仞山 羌笛何須怨楊柳 春光不度玉門関 Cited from http://pub.ne.jp/yosh/?entry_id=1217984 また、北川という土地の〈中華文明〉にとっての重要性は禹の出生地であることか*2。 さて、戴伊編訳「”弃書投網”是一場文化危機」(『東方早報』2

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    nagaichi
    nagaichi 2008/06/21
  • 開封猶太人 - Living, Loving, Thinking, Again

    小岸昭「開封のユダヤ人、一千年の記憶」『図書』710, pp.23-26 小岸氏が「ミュンヒェンのユダヤ文献専門店」で購入したという『開封のユダヤ人――黄河南岸の中国系ユダヤ人』という(多分独逸語であろう)に、北宋時代に波斯出身のユダヤ人が定住したときの(多分、漢文→独逸語→日語と訳されたであろう)皇帝の言葉――「汝らが我が支那に来たからには、汝らの先祖の習慣を尊崇・遵守し、ここ汴梁(開封)にてそれを子々孫々に伝えよ」(p.23)。 また、開封の石碑には、 ユダヤ人が時の皇帝から賜った漢族名として、今日に残る石・高・艾・李・張・趙・金の七姓八家(内李姓は二家)を含む十七の姓がはっきり記されている。このように「趙」や「金」を名乗るに至ったユダヤ人は開封に定住し、南宋孝帝の隆興元年(一一六三年)に最初のシナゴーグを建立し、先祖伝来の事規定や割礼の掟を守り、「阿無羅漢(アブラハム)」を立教

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    nagaichi
    nagaichi 2008/06/13
  • 中国に於ける民族帰属(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    ちなみに漢民族にあたる人でも、保護を求めて少数民族と申告する場合があると聞く。これは漢民族が実質的に文化による区分にすぎず、遺伝で見ると長い歴史を経て相当に周辺の民族と入り交じっている背景が可能にしたことでもある。 http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20080416/1208390936 NHKの『その時歴史が動いた』で「水平社運動」を採り上げたということは知らなかった。西方万吉とか出てきたのだろうか。 さて、上のパッセージを読んで、少し私の記憶から書き出してみる。 先ず、中国において、民族の帰属は基的に自己申告制で、特に漢族と少数民族の間に生まれた人では少数民族になる人が多いように思われる。これは少数民族になれば、大学入試などのときのアファーマティヴ・アクションの対象になるとか、独子政策の対象から免除されるということが大きいようである。また、長い間差

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    nagaichi
    nagaichi 2008/04/25
  • 「萌え」メモ - Living, Loving, Thinking, Again

    「性差をマクシマムにしつつ性的成熟を抑圧するオタクのジェンダー戦略に対する抵抗」云々と書いた*1。それを補足する意味で、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080419/1208580191で引用した「ナツ」さんという方の「萌えとエロと純愛」というテクスト*2からまた少し抜書きしておく; 萌え系コミックやエロゲーが、「女は男の性に奉仕するための生き物」(幼い女の子ですら)という性的妄想の上に成立しているものである以上、「キモイ」(生理的に嫌)という感想が女性側から出て来るのは必然だと思う。 それに対して逆ギレする人を見ると、「暴力性に全く気づかないまま萌えコンテンツを消費しているの?」という疑問が浮かんでくる。 「どこにも実在しない少女なんだからいいだろ」という問題ではない。嫌悪の対象は概念(女性観)だからだ。 だからといって、「人の嫌がることはやめましょう」

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    nagaichi
    nagaichi 2008/04/22
  • 「物語」は回帰する? - Living, Loving, Thinking, Again

    http://www.hirokiazuma.com/archives/000361.html http://www.hirokiazuma.com/archives/000362.html http://ideaflow.blog26.fc2.com/blog-entry-216.htmlとかhttp://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20080121#p1で知ったのだが。東浩紀の言説。 右翼も左翼もなんらかの物語を信じている。しかし、そういう立場は、ちょっと考えるとなかなか取れなくなる。というのも、だいたい人間の思想なんて歴史的に反復されているし、どの時代をとってもいろいろな立場があって、似たような論争が繰り返されていることがすぐわかるからだ。 したがって、あるていど頭のいいひとは、特定の物語を信じず、諸物語の「均衡」を目指すことになる。これは保守の立場に近づく(ちなみ

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    nagaichi 2008/02/01
  • オスマン帝国、多文化主義、或いは「ムハマンド主義の退廃的な特性」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080109/1199847126で、オスマン帝国についてちょこっと触れたので、それに関連して、スラヴォイ・ジジェク「人権の概念とその変遷」(in 『人権と国家』岡崎玲子訳、集英社新書)というテクストから少しメモ。 ジジェク曰く、 早くも十六世紀に、フランスの自然科学者ピエール・ブロンは、「トルコ人はトルコ風の生き方を誰にも強制しない」点を指摘していた。フェルナンドとイザベラが一四九二年にスペインからユダヤ人を追放した際、多くの者が亡命先と信教の自由をイスラーム諸国で得たのも無理はない。非常に皮肉なことに、トルコの大都市において公然と生活を送るユダヤ人の存在に不快感を覚える西洋の旅行者は少なくなかった。(p.134)ここで、ジジェクは「一七八八年にイスタンブールを訪れたイタリア人N・ビサーニの報告」*1を引く; パリやロンド

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    nagaichi 2008/01/21
  • 想像の共同体その他 - Living, Loving, Thinking, Again

    「ネットキモウヨという人種」(=ゴミウヨクという下等生物)の持つ特異なナショナリズムの正体は、日常的なコミュニティから疎外された「不安な個人」たちにくすぶる自意識の燃焼に過ぎないものである。気持ちの悪いアニメヲタクがマンガやフィギュアの閉ざされた世界に引きこもっていくのと同じように、ネットキモウヨは民族/国家という「想像の共同体」へ寄りすがることで自らの不安や孤独を癒しているだけだ。したがって、「わざわざ組織を自ら立ち上げて社会にコミットしよう」などというハードルの高い事業へと参画するネット右翼は極めて少ない。彼らの運動が創価学会や朝鮮総連に死んでも勝てない理由は、ここにある。ネット右翼というのは、腐ったアニメヲタクと同種の生き物であり、正真正銘の社会のクズであり、いかにネットで愛国心を語り民族差別の卑劣な書き込みを続けようとも、現実社会には何の影響力も与えられない。(ただし、何かのきっか

    想像の共同体その他 - Living, Loving, Thinking, Again
    nagaichi
    nagaichi 2007/08/31