1. なぜ「マジョリティのヘテロ男性」は差別され得ないのか? 文化人類学やカルチュラル・スタディーズは"差別というのは、基本的に「コミュニティの境界確定」のためにある"と論じてきた。 自然界は通常、曖昧なものである。 例えば、大人と子どもを考えてみよう。 村の秩序は、たとえば大人になれば村の方針を決める寄合に参加できる、酒が飲める、結婚ができる、と行った「権利」を「大人」に付与するであろう。 一方、昆虫の類ではない人類に、大人と子どもの境界線が自然に与えられるわけではない。 大人であるかどうかは、年齢であったり、慎重であったり、第二次性徴があったかどうかだったり、あるいは「戦に出る」能力と行ったなんらかの能力であったりで決められるだろう。 現代社会であれば、法律は通常年齢を大人と子どもの境目を決める手段として選び、特に誰が何かを宣言しなくても、法律は全ての個人を粛々と大人に分類していくだろ