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ブックマーク / cte.main.jp (11)

  • 曹操から曹植に下賜された馬の名前? - 三国志ファンのためのサポート掲示板

    ▼青木朋さん: >話題提供というか、ちょっとした時間つぶし的な質問です。 > >中国語のサイトで、名馬の名前を検索していたら、 > >《魏志》陳思王表文帝曰:“臣于武皇帝世得大宛紫[馬+辛]馬一匹、教令習拝。 > >という文章に巡り合ったのですが、出典が分かりません。 >正史三国志では無いようなのですが・・・?(ネットで全文検索してみただけです。汗) >お分かりの方がおられましたら、ご助言ください。 こんにちわ。 手元の電子文献にて「得大宛」で検索してみると『三国志』にも念のために『晋書』にも出てきませんでしたので、ピンと来て『太平御覧』で検索してみると、出てきました。 『太平御覧』卷八百九十四 獸部六 馬二 (『魏志』曰) 又曰:陳思王表文帝曰:「臣於武皇帝世得大宛紫〓馬一匹、形應圖法。善持頭尾、教令習拜。今已能拜、又能行與鼓節相應。謹以奉獻。」 ちなみに『[#?太平御覧]』はこういう感

    nagaichi
    nagaichi 2012/11/18
    「陳思王表文帝曰:“臣于武皇帝世,得大宛紫騂馬一匹,形法應圖,善持頭尾,教令習拝。”」もともと大宛は汗血馬の産地だよね。
  • ノート:連環画は中国特有の『マンガ』なのか?その絵本としての可能性を探って(2012年2月15日) - 三国志ニュース

    その日は、前夜に映画『ALWAYS 三丁目の夕日'64』3D版を見に行き、午前中に知恩寺の手づくり市に行って京都ベイクドチーズケーキドットコムのヘルシーチーズケーキを買い、昼から京都国際マンガミュージアムへ行って、公開研究会「広がりつつあるマンガ研究 京都精華大学芸術研究科博士後期課程院生による報告会」を一般聴講し、夕方にモスバーガーで期間限定のシーフードドックを買って間し、京阪電車と大阪市地下鉄の終電を乗り継ぎ心斎橋駅で降りて、「リラックスダイニング little Birds」で晩飯をべ、くつろぎ、28時になったらサッカーバー「Bar AZZURRI」に行き、UEFA Champions League 11/12 決勝ラウンド 1回戦 1st leg ACミラン VS アーセナルを観戦するという、一見、三国志とは無関係な一日だった。 ちなみに前日の占いではレジャー運が良いとのことで。

  • 呂布って一体何歳くらいだと思いますか - 三国志ファンのためのサポート掲示板

    清水さんへ 熹平三年は、西暦174年ですね。 呂布の生年は、正確には分かりませんが、延熹4年(161)以前ではないかと私は勝手に考えています。これは劉備の生年です。 なぜなら、『三国志』呂布伝の注に、呂布が劉備のことを「弟と呼んでいた」とありますし、呂布自身が、第三者に向かって「劉備は私の弟」と発言している記述があるからです。死の真際には劉備のことを「児」と罵っていますが、これは主に年下の相手に使う罵語の「竪子」(小僧)と同義です。 また、張飛伝に「関羽が数歳年上だったので、張飛は実の兄に対するように接した」とあるように、義理の兄弟は、当時もやはり年齢の上下で兄か弟かを決めていたと考えられます。 よって、呂布は劉備より年上ではないかと推測されます。 ただ、どれくらい年が離れていたかは分かりません。 劉備の生年は、延熹4年(161)です。 したがって、呂布が生まれたのは、少なくとも劉備の生年

  • リンク:洛陽邙山陵墓群考古工作獲重要新發現(2010年5月17日) - 三国志ニュース

    nagaichi
    nagaichi 2010/05/18
    曹休の墓。洛陽の邙山というと、後漢や北魏の帝陵が集中しているところではあるが。
  • リンク:『法制史研究』『書学書道史研究』 - 三国志ニュース

    ※前記事 リンク:「尹湾漢墓簡牘の基礎的研究」 ・枕流亭ブログ http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/ ・『法制史研究』PDF  (※上記ブログ記事) http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20100224/p1 上記ブログ記事で知ったこと。 下記のように独立行政法人科学技術振興機構(JST)運用で、電子化した学術雑誌を公開しているサイトがあるそうな。 ・Journal@rchive http://www.journalarchive.jst.go.jp/japanese/ 冒頭でリンクしたブログ記事では『法制史研究』掲載の論文(PDF)へいくつかリンクでまとめられている。それを見ても、下記の『法制史研究』のページを見ても両漢三国志西晋の法制史関連の論文が結構、ありそうだ。1951年から2003年までの分が読める(つまり新しい年の分は見られな

    nagaichi
    nagaichi 2010/02/26
    言及された!
  • リンク:曹操高陵在河南得到考古確認(2009年12月27日) - 三国志ニュース

  • 三国志ファンのためのサポート掲示板

    質問です。 盧弼の『三国志集解』で関羽の諡号である「荘繆侯」について、こう記されています。 死者に栄誉を与えるため「繆」という字を使ってよいか、という問題がある。 関羽に送られた「繆(ビュウ)」ではなく「穆(ボク)」ならば、秦ノ穆公や魯ノ穆公に使われた文字だ。孟子には、漢ノ穆公生、秦の穆公が載っている。古代では、全て「穆」を使った。宋の岳飛が武穆と追諡されたのも、同じ意味である。 諡法によれば、関羽に付けられた「繆(ビュウ)」はマイナスの評価で、武功が成らなかったという意味である。 「繆(ビュウ)」と「穆(ボク)」が混同されたのだろうか。 とあります。 私も、壮繆侯の「壮」に誤魔化されていて気が付かなかったのですが、確かに「穆(ボク)」ではなく「繆(ビュウ)」です。ちくまの訳では「繆」に「ボク」とルビを振っています。「穆」と勘違いするのも無理は無い。…言い訳ですね、すみません。 某サイトで

    nagaichi
    nagaichi 2009/10/12
    さすがに関羽に悪諡を贈るとは思えないな。
  • リンク:『魏晉石刻資料選注』 - 三国志ニュース

    ・古代中国箚記 http://ancientchina.blog74.fc2.com/ ・リポジトリ   (※上記ブログ記事) http://ancientchina.blog74.fc2.com/blog-entry-225.html 上記ブログのRSS配信で気付く。 何かというと、下記のように京都大学学術情報リポジトリ(KURENAI = Kyoto University Research Information Repository)で『魏晉石刻資料選注』が公開されているという。 ・Kyoto University Research Information Repository http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/ ・Kyoto University Research Information Repository: 魏晉石刻資料選

  • http://cte.main.jp/newsch/article.php/?n=699

  • http://cte.main.jp/newsch/article.php/?n=566&category=008

  • 三国志ファンのためのサポート掲示板

    ▼馬秉さん: >ふと疑問に思った事なのですが、後漢-三国時代の関所(虎牢関や潼関)は >敵を防ぐ以外にどのような役割があったのですか? >日と同様に関税をとったり、戦時中は敵国の密使を捕らえる等のことをしていたのでしょうか? 関所の役割については、清岡美津夫さんが書いておられること以外に思い当たりません。軍事的なものを除けば、人・物資・通信(情報)の管理と統制が役目だったのでしょう。 税の徴収のほか、禁制品などの密輸を取り締まる・他の地域に犯罪者が逃れるのを阻止する、といった業務をこなしていたのではないかと考えます。 >それと、関所はどのような形だったのでしょうか?(南北に数キロの城壁もしくは、当時の城のように長方形で中に民家があったのか) >ご存知でしたら並べてご教授ください。 あまり専門的な資料は持っておりませんが、調べた限りでは大きさ・形はまちまちのようです。 webサイト『古代世

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