よく中学生時代の痛いノートを元に黒歴史だとダメージを受けるタイプの話がネタにされている。 これに筆者は違和感を感じていた。 なぜか。 「黒歴史を作っていた中学生時代の私」と「現代を生きる私」は既に同一人物であって同一人物ではない。 なので過去の私が行ったことは既に現在の私と連続性がないので私が精神的ダメージを受ける理由もない。 (未だに痛々しいノートを量産しているなら別だが) 例え他者が過去の私と今の私を連続性のある同一個体として認識したとしても それは他者からの評価であり私の内在的自己認識性について何ら変化を与えるものではないからである。 えー、分かりやすくいうとおしめしてた頃の私と今の大人の私は既に違うのでおしめされてて恥ずかしいなんて思うわけもないという理屈。 世話をしていた親からしたら同じかもしれないけど、こっちにとっては別人。 えー、詰まる所黒歴史でダメージを受ける度合によってそ