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2012年7月7日のブックマーク (3件)

  • じゃあ、今日は、イジメの話をしよう。: 極東ブログ

    じゃあ、今日は、イジメの話をしよう。あ、そこでぐったりしている男子、たぶん、君が想像している話をはちょっと違うと思うよ。「「しがらみ」を科学する」(参照)というにある話をちょっとアレンジしただけなんだけどね。 まず、30人のクラスを想定しよう。ちょうど、このクラスと同じだ。そこで3人グループが1人の生徒にイジメをしていて、残り26人はイジメが発生していることを知っているとしよう。こういう状況があったとき、どうするかな? またぐったりしないって。みんなでイジメを無くしましょうとかいうお説教じゃないんだ。数字に注意を払ってほしいんだ。 この設定でイジメを傍観している生徒数は……26人。この26人は、イジメの状況をどう考えているだろうか? おれもイジメに参加したい、と思うかな。まあ、それはないとしよう。でも、おれには関係ないし、って思う人は当然いるだろう。そういうとき君たちならどうかな? はい

    nakag0711
    nakag0711 2012/07/07
  • 北斗の拳とIT言論──意外と共通する「結果は問わない」日本人の原理

    特に好きなキャラクターは「雲のジュウザ」。正直、自分も雲のジュウザと外見、生き様、人間性、拳の才などが、ほとんど一致していると思っています。モデルになっているのかもわかりません。 しかしその一方で、この作品には、どうにも不思議な論理が出てくると長年、感じてきました。 それは 「動機に同情すべき点があれば、結果は許される」 という展開。 「北斗の拳」ではしばしば物語にこの原理が働きます。もっとも顕著だったのが、南斗の将星、聖帝サウザー編で、あの人は無辜の民を大量に死地へと送った人。しかも糧に毒を混ぜてわざとそれを奪わせたりするような、いかにも陰険な性格の持ち主でもありました。また主人公であるケンシロウ個人にとっても、彼の恩人、南斗の仁星、白鷺拳のシュウを残酷な運命に叩き込んだ宿敵となりました。 しかし、そんなサウザーさえも「南斗鳳凰拳の宿命により、その手で恩師オウガイを葬らねばならなかった

    北斗の拳とIT言論──意外と共通する「結果は問わない」日本人の原理
    nakag0711
    nakag0711 2012/07/07
    コラコラ、倫理的責任の発生に他行為可能性を要求するのは洋の東西を問わない普遍的原理だぞ。最近の日本人はそのあたりの教養がなくなったのでこの筆者のように結果即責任と思い込んでいるふしはある。
  • 週刊アスキーの人に本の面白さを決めるのはお前じゃないと言われちゃった

    今週の週刊アスキーの付録防水ポーチを買ったら週アスが付いてきたという人は凡人というツイートを見て危機感がないのかなと心配し面白くないからじゃないって言ったらお前が決めんなと言われました。

    週刊アスキーの人に本の面白さを決めるのはお前じゃないと言われちゃった
    nakag0711
    nakag0711 2012/07/07
    電脳なをさんって週アスのサイトの目次に載ってないけど終了したの?あれだけだったな読むとこ。