これがきのことたけのこの戦いの記録だ
「ハヤテのごとく」の畑健二郎氏が、商業デビューする以前のアシスタント時代に、「ルリルリ(=機動戦艦ナデシコ ホシノ・ルリ)」の同人誌を作った時のお話
「チャッティー」210円、色は水色、ピンク、緑、赤、黒、白の6色。全国のスーパー、ホームセンター、雑貨店などで販売中。通販でも買える(画像クリックで拡大) 昨年10月に新登場するや、ひっぱりだこの人気なのがペットボトル専用茶こし「チャッティー」だ。この商品を販売する工房カワイ(静岡県函南町)の河合芳和社長は「静岡のお茶の小売店さんから『今の若い人は急須を使わなくなった。急須なしでペットボトルから気軽に緑茶が飲めるようにできないか』と相談されたのが開発のきっかけです」と語る。3年かけて販売にこぎつけたが、昨年10月に静岡で開催された「世界お茶祭り」の会場で販売したところ、大フィーバーが起こった。一般客もさることながら、お茶の小売店が販促用グッズに使おうと200個入りのケースを箱買いし、1~2時間であっという間に売り切れてしまったのだ。これを受けて、今年1月7日にNHKの「おはよう日本」で紹介
民衆デモが政権崩壊につながったチュニジアの「ジャスミン革命」にならった反体制デモの呼びかけが20日、共産党一党支配の中国にも飛び火した。「民主化の連鎖」に神経をとがらせる中国当局は各地に厳戒態勢を敷き、封じ込め姿勢を強めた。 「『茉莉花(ジャスミン)』で来たんだ。ネットで知った。何でもいいから叫びたかった。でも、だめだよ。警察が多すぎる。君もか?」 中国西部の中心都市、成都市。デモの呼びかけのあった繁華街の天府広場の毛沢東像前で、男子学生2人は落胆していた。携帯電話を手に小声で話していると警官が近寄り、「ベンチに長く座るな」と追い払われた。 迷彩服に盾、ヘルメット、警棒を身につけた多数の治安部隊員らが警察犬を連れ、広場の内外を巡回。毛沢東像の下に警察官が集合する紺のテントが張られた。「今日は訓練だ。立ち去れ」。「流れを止めてはだめだ」。同じ場所に立っていても注意された。 南部の広東
追悼・無料放送 伝説のジャーナリストの遺言 絶望の中にこそ希望がある むのたけじ氏(ジャーナリスト) マル激トーク・オン・ディマンド 第514回 人生最初の30年を戦争とともに生き、終戦日に戦争を正しく報じなかった責任をとり新聞社を退職した気骨のジャーナリストは、96歳となった今何を感じ、何を考えているのか。 1915年、第一次世界大戦開戦の5ヶ月後に生まれたむのたけじ(本名・武野武治)氏は、二・二六事件の起きた1936年に現在の東京外語大学を卒業し、21歳で新聞記者となり、太平洋戦争の従軍取材を始めた。そして、1945年8月15日、記者としての戦争責任を取り、朝日新聞社を退社。以降、故郷の秋田県で週刊新聞「たいまつ」を創刊、言論・執筆活動を今もなお続けている。 75年間の日々を一貫してジャーナリストとして生きてきたむの氏は今、戦時中の新聞社の責任や、その後の日本のジャーナリズムを、そして
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