タグ

任天堂と横井軍平に関するnakakzsのブックマーク (5)

  • 横井軍平ゲーム館 RETURNS ゲームボーイを生んだ発想力 – イディア:情報デザインと情報アーキテクチャ

    データ 書名 横井軍平ゲーム館 RETURNS ゲームボーイを生んだ発想力 著者 横井軍平、牧野武文 出版社 フィルムアート社 発行日 2010年6月 概要 「ゲームウオッチ」や「ゲームボーイ」、「ラブテスター」など任天堂で数々のヒット商品を手がけた横井軍平氏の自伝ともいえる一冊。横井氏の思考法や発想法、哲学を知ることができる。「横井軍平ゲーム館」(アスキー・1997年)の改訂復刻版。 抜粋 横井氏の開発哲学は「枯れた技術の水平思考」というもの。先端技術ではなく、使い古された技術の使い道を変えてみることによって、全く新しい商品が生まれるという考え方だ。 ブロックで遊んでいる子供をよく見てみると、形を作るというのは実は前段階にすぎない。多くの子供が作ったブロックを壊すことに快感を感じているのである。 この十字キーの原型はジョイスティックである。これを薄型ゲーム機であるゲーム&ウオッチに組み込

    横井軍平ゲーム館 RETURNS ゲームボーイを生んだ発想力 – イディア:情報デザインと情報アーキテクチャ
    nakakzs
    nakakzs 2012/07/17
    名著。ゲーム関係者は超必読の本。
  • 横井軍平展・トークショーに行けなかったのでせめてものまとめ

    テラヤマアニ @kowagari 今日横井軍平展トークショーってことをすっかり忘れてた。あっぶねー。(唇の端から舌を蛇のようにちろちろさせながら 2010-08-21 08:16:11

    横井軍平展・トークショーに行けなかったのでせめてものまとめ
  • 横井軍平の暗闇 ― 『X-RETURNS』|そのスピードで

    X-RETURNS 発売:任天堂 平成二十二年 開発:キュー・ゲームス ディレクター:ディラン・カスバート 対応機種:ニンテンドーDSiウェア 陸空両用の戦車「VIXIV」を単騎かりたて、 虚空にちらばる惑星を探索してまわる。 作は十八年の時をへて復活した、ゲームボーイの名作『X』の続篇だ。 ディレクターは、前作をてがけたイギリス人のディラン・カスバート。 作曲も、当時新人だつた戸高一生をふたたび起用した。 失礼ながら、こんな小粒なダウンロード販売のソフトに、 惜しげもなくエースを投入した任天堂の酔狂にあきれる。 惑星間は、トンネルを高速でかけぬける。 とたけけの音楽が、プレイヤーをクールに昂揚させる。 (画像は英語版) 橙色が目にまぶしい惑星で、あらたな任務にとりくむ。 星ごとにことなる、大胆な色彩がたのしい。 たとえばバーチャルボーイを連想させる、赤と黒。 惑星「アース」の、心やすら

    nakakzs
    nakakzs 2010/07/22
    やっとDSiウェアで買ってもよさそうな500ポイント以上のソフトが出てきたかもしれない。
  • 枯れた技術の水平思考 - 『ゲームの父・横井軍平伝』

    ★★★★☆(評者)池田信夫 ゲームの父・横井軍平伝 任天堂のDNAを創造した男 著者:牧野 武文 販売元:角川書店(角川グループパブリッシング) 発売日:2010-06-11 クチコミを見る 横井の名前は、一般にはあまり知られていないが、任天堂で「ゲーム&ウオッチ」や「ゲームボーイ」などのヒット商品を手がけ、日ゲームの元祖といわれる人物である。「ドンキーコング」や「スーパーマリオ」などの初期のゲームを手がけ、宮茂氏(任天堂専務)が「師匠」と呼んでいる。1997年に交通事故で亡くなったが、2003年に世界ゲーム開発者会議で「生涯功労賞」を授与された。 しかし横井の人生は、彼自身もいうように「落ちこぼれ」だった。1960年に任天堂で初の大卒社員として採用されたが、当時の任天堂は花札メーカーで、電子工学を学んだ横井の技術を生かす場はなかった。花札を製造する機械の保守などをしているうち、遊び

    枯れた技術の水平思考 - 『ゲームの父・横井軍平伝』
    nakakzs
    nakakzs 2010/07/19
    ウルトラマシンはヒット商品なのだが(他も失敗までとは言えない)、と一応こまかいところにツッコんでおく。
  • なぜ横井氏は任天堂を辞めたのか?

    横井氏が退社する前日に日経新聞が横井氏がバーチャルボーイ失敗によって引責辞任したと報じた。しかし横井氏はバーチャルボーイの失敗によって 辞任させられたわけではない。 横井氏によるとこの記事が出ると同時に新聞、雑誌の取材や講演の依頼がたくさん来たという。 その中で「山内社長のワンマン体制に嫌気がさした」ととる人が大勢いた。しかし、横井氏はまさに山内社長ワンマン体制こそが任天堂をここまで成長させたのだという。 ワンマン体制=悪という感覚で取る人は多いが、経営はそう単純なものではない。そもそもベストといえる経営体制などない。 特に商品がヒットするかどうかの嗅覚において山内社長は天才的である。 例えば、任天堂の転機となった「ゲーム・アンド・ウオッチ」。 5千万台近く売れたものだが、これこそワンマン体制だからこそ生まれたものである。これは横井氏が38歳のときに山内社長に提案したものだが、社長が興味を

  • 1