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枯れた技術の水平思考 - 『ゲームの父・横井軍平伝』
★★★★☆(評者)池田信夫 ゲームの父・横井軍平伝 任天堂のDNAを創造した男 著者:牧野 武文 販売元:... ★★★★☆(評者)池田信夫 ゲームの父・横井軍平伝 任天堂のDNAを創造した男 著者:牧野 武文 販売元:角川書店(角川グループパブリッシング) 発売日:2010-06-11 クチコミを見る 横井の名前は、一般にはあまり知られていないが、任天堂で「ゲーム&ウオッチ」や「ゲームボーイ」などのヒット商品を手がけ、日本のゲームの元祖といわれる人物である。「ドンキーコング」や「スーパーマリオ」などの初期のゲームを手がけ、宮本茂氏(任天堂専務)が「師匠」と呼んでいる。1997年に交通事故で亡くなったが、2003年に世界ゲーム開発者会議で「生涯功労賞」を授与された。 しかし横井の人生は、彼自身もいうように「落ちこぼれ」だった。1960年に任天堂で初の大卒社員として採用されたが、当時の任天堂は花札メーカーで、電子工学を学んだ横井の技術を生かす場はなかった。花札を製造する機械の保守などをしているうち、遊び
2010/07/19 リンク