なかなか、わかりやすく話せない…という方は多いかもしれません。 それどころかむしろ訓練を受けていない、ほとんどの人の話は、論理的でもなく、筋道も通っておらず、「わかりにくい」のが普通なのでしょう。 ただ、プライベートでは、それほど「話のわかりやすさ」を問われません。 何となくその場の雰囲気で、皆、うなずいてくれるからです。 「ま、言ってることはわかんないけど、追及するのも面倒だからいいや」とか 「大したこと言ってるわけじゃなさそうだから、適当に笑っておこう」とか。 通常、多少の分かりにくさは、すべて無視されてしまいますから、支障はないのです。 仕事では「話のわかりやすさ」は死活問題 しかし、仕事においては少々事情が異なります。 理解不足が、場合によっては責任問題に発展することもありますから、「面倒だから、まあ流しておけばいいや」では済まされません。 基本的には、相手の話を細大漏らさず理解す
最も重要なビジネススキルはなんですか? と問われたら、なんと答えるだろう。 人によりけりだと思うが、私がコンサルティング会社で経験した限りでは、「結論から話す」がその候補の一つだと感じる。 これは誇張でもなんでもなく、「コンサル一年目が学ぶこと」の著者が、この本の最初の項目として設定していることにも現れているように、 あるいは、スキル系のビジネス書には大抵それに類似したことが書いているように、今では「結論から話せ」は、、もはやビジネス上の慣例といっても良いくらいだ。 私の場合は、入社するとまず直属の上司に「結論から」を求められた。 例えば、こんな具合だ。 私「すいません、相談があるのですが……」 上司「何?」 私「お客さんのところで、規定の説明をしていたのですが、第二条のところでお客さんから質問が出てしまったんですよ。「目的と目標はどうちがうんですか」と聞かれたので、こう答えたんです……」
わたしはもともと、「シェアリングエコノミー」なるものがあまり好きではなかった。 ウーバーイーツのつまみ食いとかメルカリの転売とか、いろいろと悪い話を聞いたし、違法民泊のニュースを何度も見たし。 やっぱり他人とのシェアより、自分のもののほうがいいよ、うん。 個人的に許容できる他人とのシェアは、図書館の本くらいかなぁ。 なんて思っていたわたしだが、もしかしたらこの冬、シェアリングエコノミーを利用するかもしれない。 なぜなら、カネがないから。 車がほしかったけど、カーシェアリングで我慢…… 今年の夏、夫がようやく車の免許を取得したので、冬になったら車を買おうと計画していた。 が、今年のヨーロッパは電気代やガス代が高騰し生活を圧迫、よく知らないがガソリン代もバカ高くなっているらしい。 さらに残念なことに、神経を抜いた左上の奥歯が割れて、治療に10万円近くかかることに……。 出費がかさむことが確定し
昔、仕事の技術として、「議論の負け方」について教えてもらったことがあります。 といっても、 「議論に負けるときには〇〇に注意しなさい」 といった、ディスカッションの注意事項に関する話ではありません。 この話は「議論するときには、うまく相手に花を持たせなさい」という話です。 でも、いったいなぜ、こんな技術が必要なのでしょう。 それは、端的に言うと、 「基本的に、人は(自分が一番と思っているので)教わりたくない、知識をひけらかすヤツを敵視する」 からです。 例えば、コンサルタントとして私が教わったことの一つに、「知っていても、知らないふりをせよ」という技術がありました。 知識は、知らないふりをしたほうが対人関係がうまくいく 知らないふりをして困ることなんか一切ない。知ったかぶりよりも知らないふり。知っていても簡単に話さない。これが対人系の仕事の鉄則なんだよ。 これは「お客さんに花を持たせる技術
「ナッジ」とはなにか ナッジとはなにか。 そんなものは検索したらわかりやすい解説がたくさん出てくる。でも、おれは親切なのでいくつか例を書く。 たとえばタバコのパッケージに「生々しい」写真を印刷することを義務付けて喫煙率を減らす。 大学のプリンターの初期設定を「両面印刷」にして紙の消費量を減らす。 空港の男子用小便器に蝿の絵を印刷して、飛び散る汚れを減らす(これは人類のだいたい半分にしかわからないのではないかと思うが)……。 そんな仕掛けである。GPSによる経路検索、食品のカロリー表示、テレビのリモコンについたオンライン配信メディアのボタン……。 もともとは「そっと後押しする」というような意味らしいが、ともかく行動科学とか心理学とかそういうものに基づいて政策とかを仕掛けるぜ、という話だ。言い出しっぺの定義によればこうなるらしい。 選択を禁じることも、経済的なインセンティブを大きく変えることも
事業の強い「在り方」が結果的に強い「数値」を引き連れてくる 米IT大手4社「GAFA」(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルをひとまとめにした呼称)は、2年間続くコロナ禍をものともせず、発表される決算の数値は相変わらず力強さを維持しています(SNS『フェイスブック』を有するメタは、ややメタバースへの先行投資がかさんでいるようですが)。 GAFAが力強い数値を持続できるのは、厳密に数値計画を立て、営業がタフにクリアしているからというより、稼ぎ出す枠組み(プラットフォーム)をつねに進化させ、独自のものに磨き続けている結果として、強い数値が出てしまうといったほうがよいかもしれません。 GAFAの強さはいろいろに語ることができますが、本稿では、その強さは事業目的の目線が一貫して「在り方」に置かれている点にあるとみます。 すなわち、GAFAはそれぞれの分野で新しい枠組みをつくり上げ、そこでい
「申し訳ありません」はお詫びの言葉ではない? ビジネスシーンでは悪気はなくてもミスをしたり、相手に迷惑をかけてしまうことは日常茶飯事です。相手を不快にさせて怒らせてしまったら、まずはひたすらお詫びするしかありません。 そしてお詫びを代表する言葉といえば、「申し訳ありません」ですね。 「申し訳」には「言い訳」という意味があります。つまり「言い訳はできません」と、自分のミスを認める表現で、正確にいうとお詫びの言葉ではないのです。 もっともストレートな表現は「お詫びいたします」です。 「深くお詫びいたします」「深謝いたします」というのも心からの謝罪を伝える言葉です。「深」という漢字の右側は「穴」と「木」です。穴の深さを木で測るという意味で、この右側に「氵=さんずい」がつくと、水の深さを測るということを表します。その場しのぎではなく、水底まで届くような深いお詫び、ということです。「深謝」は深く感謝
私が仕事の中で教わり、その後も公私に渡ってたいへん役に立った技術の一つに、「相手に、課題に気づいてもらうテクニック」があります。 私が所属していた組織ではそれを「気づかせ術」と呼称していました。 そう聞くと、もしかしたら 「課題は、ストレートに指摘するほうが誠実」 とか、 「はっきり指摘しないと、相手は気づかないよ」という方もいるでしょう。 でも本当にそうでしょうか。 課題を指摘されて 「ズバッと言ってくれて、ありがたいです」 「ああ、私がまちがっていました。確かにそれは課題です。直します」 なんて人、どれだけいるでしょうか。 残念ながら、ほとんどそういう方はいません。 「内容が正しかろうが、正しくなかろうが、課題を指摘しても、ほとんどの人はそれを受け入れない」のです。 それを理解しているかどうかが、コンサルタントとして、うまくやっていけるかどうかの境目でもありました。 * 例えば、以下の
きっついお話を先月のbooks&appsで見かけた。 実力も謙虚さもない年配者は、もう居場所がない。 結局のところ、実力に関わらず「素直さ」、「学ぼうとする意欲」、「ちょっとしたチームへの貢献」というのは、年齢関係なく、歓迎されるといえる。 要は年配になっても「謙虚さ」を保てるかどうか、という話に帰着する。 だが「そんなの無理」という年配者もいるだろう。 だが、こう考えてみてほしい。謙虚にふるまえるかどうかは「死活問題」だと。 シニアになってからのQOLに直結する話なのだと。 冒頭リンク先のお話をワンセンテンスにまとめるなら「実力もなければ謙虚さもない、そんな無能で鼻持ちならないシニアは忌避されるぞ」といった内容だし、たぶんそのとおりだと思う。 そして年上には謙虚さや徳の高さが(年下に比べて)期待されがちで、それもまた能力のうちなので、無能なうえに謙虚も欠如したシニアは二重に無能だ、とさえ
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