nakatumiのブックマーク (97)

  • 天 之 御中 主(あめのみなかぬし)が消え、以後決して登場しないワケーかんながらの道(随神の道)ー神社ができた頃の古代史と古代語14

    記紀 によって 再編成 さ れる 以前 の 来 の神社 神道 天照大御神 も「 かの 葦原 中国 (あしはらなかつくに)は、 専ら 汝( 鹿島 の 神) が 言 向け つる 国」(『 古事記』) と 鹿島の神をほめ た たえ るくだりがあります。 その エネルギー は、 日の では、 まず、 東路 の 果て、太平洋の鹿島灘、 鹿島 の 御空 より 日毎ふりそそいでいます。 そこで「 神文」 では、 鹿島 の 神 を「 ソラピカ」 と 言っ て い ます。 そういう わけ で、 鹿島 と 香取 という 地 で なけれ ば なら なかった、 ので あっ て、 これ が、 何故、 わざわざ、 東路 の はて の 鹿島、 香取 の 地 に 祀ら なけれ ば なら なかっ た のか、 という 大昔からの 謎 へのほんとうの 答え です。 神社神道、 とりわけ、 記紀 によって 再編成 さ れる

    天 之 御中 主(あめのみなかぬし)が消え、以後決して登場しないワケーかんながらの道(随神の道)ー神社ができた頃の古代史と古代語14
    nakatumi
    nakatumi 2019/02/13
    記紀を読むときは神をあたかも人間であるかのような擬人化の手法で記紀神話は書かれているという視点が非常に大切です。また鹿島と香取は同じフツでも剣と鞘の関係にあることを知る必要があります。
  • 鹿島・香取を東国に祀ったのは東北エミシに対する軍事的理由からではないーかんながらの道(随神の道)ー神社ができた頃の古代史と古代語13

    続、ピカ・プツをなぜ鹿島・香取としてわざわざ太平洋側の東国に祀ったのか 前回に続きます。 ピカ・プツが何故わざわざ太平洋側の東国に祀られたか、という話です。 前回までで、何故、わざわざ 九州 で 祀っ て い た 神 々 を、 鹿島・香取 に 遷し、 そういう 神事 の 仕組み を 大和 の 国 造り の 礎 に 据え た の かをお話ししました。 もう一度そのいきさつを振り返ってみたいと思います。 そもそものはじまりは、韓国中国東部の山東半島にも行けて主に米や鉄などを仕入れては日土に卸してはて大いに栄えていた倭人天族が、その商業相手の国内の有力な豪族、三輪一族に利用されて大いにその商圏を脅かされたことです。 そこで倭人天族の大君は、大君側近の中津・弓前(なかつ・ゆま)に占なわせた結果、オオヒルメ(後に天照大御神とよばれる)の神から、奈良にあった三輪一族の討伐とそこに第二の王朝を開い

    鹿島・香取を東国に祀ったのは東北エミシに対する軍事的理由からではないーかんながらの道(随神の道)ー神社ができた頃の古代史と古代語13
    nakatumi
    nakatumi 2019/02/11
    崇神天皇を記紀いずれも「ハツクニシラススメラミコト」としています。日本国を始められた天皇の意味です。神武天皇もハツクニシラススメラミコトとしています。日本書紀はこれをほっといています。
  • 鹿島と香取の関係は剣(つるぎ)と鞘(さや)の関係ですーかんながらの道(随神の道)ー神社ができた頃の古代史と古代語11

    高 皇 産 巣 日神・手力雄神・鹿島・香取の神の関係 「委細 心得」 に もどり ます。 次に 宇宙 最大 の 神 と 目 さ れる カムロミタカミムツ 大 霊(『 古事記』 では、 高 皇 産 巣 日、 タカミムツビ) から、 その 子、 垂 力(『 古事記』 では、 天 手力 男、 アメノタヂカラ)、 そして その 左右 の 珠 で ある ピカ(『 古事記』 では、 建 御 雷、 タケミイカヅチ) と プツ(『 古事記』 では、 経 津 主、 フツヌシ)、 という 関係 が 示さ れ ます。 すなわち、 プツー(経 津 主-香取神宮ー弓前一族が祀る、向かって右) ピカ-(建 御 雷ー鹿島神宮ー中津一族が祀る、向かって左) この両者の前がタカミムツ(高 皇 産 巣 日)ータジカラーです。 そういう関係です。 カタカナの部分が弥生語です。 これ で、 これ まで、 全く の 謎 で あっ

    鹿島と香取の関係は剣(つるぎ)と鞘(さや)の関係ですーかんながらの道(随神の道)ー神社ができた頃の古代史と古代語11
    nakatumi
    nakatumi 2019/02/10
    鹿島・香取の親神、手力雄神の助力なしには天照大御神も上手くいかないことを暗示しているのが内宮の中の相殿神に手力雄神が祀られていることです。
  • 太陽神と天皇の共通項は仁愛にありますーかんながらの道(随神の道)ー神社ができた頃の古代史と古代語10

    伊勢の外宮の神、豊受は内宮の神、天照大御神の御分身です 次に、「 世々 の 弓 前 和 が、 相 伝え し 秘 聞」 の うち の、「 秘 聞」 という 表現 に、 触れ て おき ます。 「秘 聞」 とは、「 秘密 に し なけれ ば なら ない 言い伝え」 です。 「表 に 出し ては いけ ない 伝承」、 それ が、 この「 委細 心得 の 中 には ある」 という こと です。 その一例をあげてみます。 例えば、 伊勢 の 外宮 の 神 の 鎮座 の 由来 に関して は、 記紀 の 伝承 と「 委細 心得」 とでは、 まるで 違っ て い ます。 記紀 からでは、 この 外宮 の トヨ ウケ の 神 の 正体 が、 よく 分かり ませ ん。 天照大御神 の「 御饌 津 神」 と なっ て お 仕え する 神 の よう に 見え 一段 神格 が 低い 印象 を 与え て い ます。

    太陽神と天皇の共通項は仁愛にありますーかんながらの道(随神の道)ー神社ができた頃の古代史と古代語10
    nakatumi
    nakatumi 2019/02/10
    外宮の神トヨウケは日神、天照大御神が地に下った分身で、内宮・外宮は、元来は対等であり、成立は外宮の神の方が先だ、と伝承しています。この名残が「外宮先祭」として受け継がれているのです。
  • 春日大社(かすがたいしゃ)の境内に「手力雄神社」の末社がなぜ三つもあるのか?かんながらの道(随神の道)ー神社ができた頃の古代史と古代語9

    奈良春日大社の境内に「手力雄神社」の末社が三つもある不思議 さて、タジカラーピカー・プツ の 、 関係 を 示す 配置 が、 実は、有名な 奈良 の 春日大社 の 境内の中にに 残さ れ て い たんですよ。 だって、この関係は一切、どこにもないし、知る限りではどんな学者も言っては居ないからです。 皇学館や国学院の神道専門のどの先生も知らされてはいないと思います。 何しろ、委細心得の文献と春日大社の三社の「手力雄神社」の末社しか証拠がないからです。 これを見つけたときは、いやまったく、驚き小躍(こおど)りして喜んだものです。 まさに「やったー!」の瞬間でした。 この 発見 の きっかけ は、 所用 で 奈良 興福寺 (こうふくじ)での能舞台鑑賞の為にそこを 訪れ 散策していた 際に、 現在 の 橋 町 の 興福寺 所有 地 に隣接して、 春日大社 の 境外 末社 として 祀ら れ て い

    春日大社(かすがたいしゃ)の境内に「手力雄神社」の末社がなぜ三つもあるのか?かんながらの道(随神の道)ー神社ができた頃の古代史と古代語9
    nakatumi
    nakatumi 2019/02/09
    春日大社の境内には三つの「手力雄神社」が何故三つも祀られているのか?それは、手力雄神が鹿島の建御雷神と香取のフツヌシの神の親神だからです。
  • 伊勢や鹿島・香取よりも古い大神神社(おおみわじんじゃ)-かんながらの道(随神の道)ー神社ができた頃の古代史と古代語 6

    倭人天族の最大 の お 得意先 は大和の三輪一族 ところで、 かれ ら 天 族 にとって、日の中で の 最大 の お 得意先 は、どこだったと思いますか? 内陸 では、 当時、 最も 栄え て い たのは、 三輪( 今の 奈良 の 大和 地方) の 三輪 一族 だったんですね。 ここ は、 三 世紀 の 頃 には、 すでに 後 の 大神神社 (おおみわじんじゃ)として 知ら れる 三輪 一族 が 祀る 日一 古い 社 が あり まし た。 この頃は、伊勢も出雲も鹿島・香取もまだ存在していません。 これ等は皆、天族が日土に上陸し崇神天皇が大和をめざす過程で霊理の法則に基づく日国建国の為に建てていった神社だったからです。 上陸以前にはなかった神社です。大神はそれ以前からあった三輪一族が祀る神社です。 出典:大神神社(三輪明神) 天族はまた、彼ら三輪一族 の ため に 箸塚古墳(はしづ

    伊勢や鹿島・香取よりも古い大神神社(おおみわじんじゃ)-かんながらの道(随神の道)ー神社ができた頃の古代史と古代語 6
    nakatumi
    nakatumi 2019/02/07
    大神神社以前には伊勢も鹿島・香取もなかったというのが委細心得の記述です
  • 「鹿島立ち」のほんとうの意味を知る人がいない-かんながらの道(随神の道)ー神社ができた頃の古代史と古代語 4

    委細心得にある鹿島・香取の由緒 委細心得(いさいこころえ)という倭人天族、後の大和朝廷の母体となる政権に仕えていた弓前一族が伝承した言い伝えがあります。 それによると、四世紀半ばの頃、天照大御神の命によって日建国の一環として、東路(あづまじ)の果ての鹿島と香取に、宇宙最大の神であるタカミムツ大霊(おおひ、天御中主<あめのみなかぬし>ではありません))の分霊である垂力(たぢから)の左右の二つの珠(たま)、ピカとプツとを祀ったことが書かれています。 ピカとプツ、これが、鹿島と香取の神なんです。 これは何のためでしょうか? スポンサーリンク 唯物論的歴史観では唯物論西洋医学同様、真実は見えない 一般の唯物論的歴史観を持っているほとんどの学者は、あわれにも軍事的見方しかできません。 あきめくらだからですね。 鹿島・香取を武の神ととらえるところからくる安易な解釈です。 鹿島・香取を拠点としてまた最

    「鹿島立ち」のほんとうの意味を知る人がいない-かんながらの道(随神の道)ー神社ができた頃の古代史と古代語 4
    nakatumi
    nakatumi 2019/02/05
    委細心得によって鹿島・香取・伊勢の神々の実相が明らかになります。そして「鹿島立ち」の本当の意味が明らかになります。
  • 顔は怖いのに超おしゃべりな奥田瑛二(おくだえいじ)さんが「徹子の部屋」にやってくる

    nakatumi
    nakatumi 2019/02/03
    奥田瑛二(おくだえいじ)さんのテレビ、映画、舞台CM他などの出演の数は半端ない。監督にもチャレンジしてすぐれた仕事を残しています。その精力的な活躍はほんとにスゴイ。
  • 今でも独身女優、酒井和歌子さん(七十歳)が「徹子の部屋」に出演

    nakatumi
    nakatumi 2019/02/03
    子役でデビュウーして約六十年、今や、今年で古希といわれる七十歳を迎えらる女優、酒井和歌子さんには、異口同音に、まず”若くて美しい”という賛辞が寄せらています。
  • 中臣可多能古(なかとみかたのこ)・御食子(みけこ)が鹿島に戻らなかったワケ-かんながらの道(随神の道)

    古代日を記した「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」 時は紀元前三世紀、ちょうど弥生時代が始まった頃です。 この頃から、魏志倭人伝(ぎしわじんでん、三世紀末に書かれた日についての中国の書)が「帯方(今の韓国ソウルあたり)の東南、大海の中にあり」と伝えている倭人(わじん)が九州西岸の五島列島を中心に、交易のための海洋物流商事組織を形成し活躍していました。 その倭人天族のなかから、大自然のなかの宇宙霊との交霊秘儀技術を作り上げ、そのメッセージを口承(こうしょう、口から口へと伝えること)によって受け継いでいった中津(なかつ)と弓前(ゆま)という兄弟の天才的な宗教家が、その倭人の中にいたのです。 彼らは、「大君(後の天皇)の質(ただ)しに答えるをもって家の業(わざ)」(委細心得、いさいこころえ)としていました。 そしてその宇宙霊との交信の仲介をしたのが天児(あめのこ)屋根(やね)として知られる高級霊

    中臣可多能古(なかとみかたのこ)・御食子(みけこ)が鹿島に戻らなかったワケ-かんながらの道(随神の道)
    nakatumi
    nakatumi 2019/02/02
    倭人天族(わじんあまぞく)という弥生時代の日本人の模様が中国三世紀末にできた「魏志倭人伝」に詳しい。
  • http://nakatumibiz.com/post-591-591

    nakatumi
    nakatumi 2019/02/01
    神社参拝の極意は「己が内なる神」を写す神社の鏡に向かって「決意を新たにする」或いは感謝することです。 哀願は御法度(やってはいけないこと)です。なぜなら、哀願の姿が実現するだけですからです。
  • 日本が不滅の理由-神社ができた頃の古代史と古代語1ーかんながらの道(随神の道)

    どのようにして日の神社はできたのか 七世紀の飛鳥時代、下総の国の香取神宮に弓前値名(ゆまあてな)という神職がいました。 この人物が先祖のアメノコヤネからの口伝えのメッセージである「神文(かみふみ) 」なるものを漢文体の日語に文字化したのです。 この値名からさかのぼること十三代前の、紀元360年から400年ころの間に値名の先祖である弓前(ゆま)一族と鹿島の神職の先祖の中津(なかつ)一族とが一緒に、大君のいる九州五島列島からはるばる今の茨城の鹿島にやって来たのです。 それは、アオピルメムチチ(記紀では、オオヒルメ、奈良時代に天照大御神(あまてらすおおみかみ)と改名される)の命(めい、命令)であり、地上での命令者は、天族の統領、天威戸(アマカド)の天の大君、アオタオチロワケ(記紀でいう景行天皇)でした。 こうした歴史は、同じ値名によって「委細心得(いさいこころえ)」のなかに「神文(かみふみ)

    日本が不滅の理由-神社ができた頃の古代史と古代語1ーかんながらの道(随神の道)
    nakatumi
    nakatumi 2019/01/31
    神社とは日本という国を守る為の霊的仕組みであったのです。
  • http://nakatumibiz.com/post-584-584

    nakatumi
    nakatumi 2019/01/31
    幸せの青い鳥はいくら外に求めても見つかりません。それはあなたの創造する想いの中にあるからです。
  • 9歳の仲邑菫(なかむらすみれ)ちゃん、囲碁界(いごかい)の天下をねらう

    nakatumi
    nakatumi 2019/01/19
    井上棋聖も趙名人もうなってしまう小学4年生、天才少女仲邑菫ちゃんのスゴサ!
  • http://nakatumibiz.com/post-567-567

    nakatumi
    nakatumi 2019/01/17
    ビジョンマップでいろんな目標と共に、今未来を創造する際に、<世の人々に役に立つ>という大きな目的が根底にある時、あなたは<鬼に金棒>の人生を手に入れたことになります。
  • http://nakatumibiz.com/post-522-522

    nakatumi
    nakatumi 2019/01/16
    ニュートン物理学では「思考の現実化」はあり得なかったが、量子の動きの発見によって「イメージと感情」は実在のエネルギーとなった。そして、その「イメージと感情」を呼び起こす「ビジョン・マップ」は、「夢をか
  • http://nakatumibiz.com/post-506-506

    nakatumi
    nakatumi 2019/01/15
    イメージと感情の正しい使い方によって「思考は現実化する」ということについて驚きの結果が出た!
  • http://nakatumibiz.com/post-467-467

    nakatumi
    nakatumi 2019/01/13
    ただの目標設定だけでは「その思考が現実化する」確率は、はなはだ低い。人がいだく夢や目標達成にはその背景にその原動力となる目的が不可欠なのです。その不可欠の目的とは?
  • http://nakatumibiz.com/post-463-463

    nakatumi
    nakatumi 2019/01/13
    幸せは収入には比例せず、ある考え方と技術にあった
  • 気になる”やってはいけない神社参拝”

    nakatumi
    nakatumi 2019/01/13
    やってはいけない神社参拝とは哀願、嘆願の類の祈り方です。既にいただいているかのような感謝を盛り込んだ祈りが正解です。