社会と文化に関するnakokai_tobokaiのブックマーク (44)

  • 実務家のラディカリスト批判 - 思いて学ばざれば

    に便乗する人が、なんだかなー、の件。 実務家とラディカリストがそれぞれの立場に基づいて互いを批判するってのは何かしらの運動をやってくうえで必要とされるものだし、それはどちらが正しくどちらが間違っているなどと安直に取捨択一できるような性質の問題ではなく、その論争の一方で両者が相互補完的な役割をはたしてるのもおそらくまた確かなことであって、それは運動にかかわるものにとってはさして珍しくもない往々にして見慣れた光景ではないの。よくしらんけど、たぶん。 解せないのは、実務家の威を借りてラディカリストを非難しはじめるうからやからがあとからあとから湧いて出てくること。「あいつらのせいで○○がかわいそうです」とか言っちゃったり。お前ついさっきまで○○に同情的なことちっとも言ってなかったし行動もしてなかったじゃんかよ、と言いたくなるような手合いが、さぞかし実務に理解あるような賢しらな口をきいてる。実務を補

    実務家のラディカリスト批判 - 思いて学ばざれば
  • 末永くお幸せに - Danas je lep dan.

    在特会の外国人排斥デモへのカウンターデモが行われたらしい。 あの界隈の連中は東村山や蕨で無辜の市民を襲撃したり威圧したりしている連中だから*1,彼らの「行動」を懸念して対抗行動が行われること自体はきわめて正当なことだろう。 問題はその中身にあるわけで。日の丸の赤い丸が うんこになっています。「在特会許すな!ファシスト倒せー、おー!」 - はにかみ草〔日の丸に描かれた〕ハーケンクロイツに足跡がついています。レイシズムに反対!「在特会許すな!ファシスト倒せー、おー!」 - はにかみ草あと、参加者側にも「在特会は日の丸を穢(けが)すな」と書いたプラカードと、日の丸を持っているひとがいたのですが、侵略戦争の象徴である日の丸を肯定的にとらえているように見えました。(話していないので真意はよくわかりませんが・・。)「在特会許すな!ファシスト倒せー、おー!」 - はにかみ草 [……]前述の「日の丸を穢す

  • 自分と同じ苦労をしなくていい人を見るとキレる人々 - 狐の王国

    「社会の論理」を持ち込む人々という記事。 「社会では通用しない」と言いたがる人の視野の狭さについての話だが、まったくその通りだよなあと思いつつも、これって他のところでもよくある話だよなあと思ったりもした。 で、表題にいきついたのだが、要するに人は自分のしてきた苦労をしなくてもいい人を見ると冷静になれないんじゃないか、と。 最近の言語を否定したがるCOBOLプログラマ 金持ちを問答無用で嫌う貧乏生まれ Excelのマクロで一瞬で仕事終らせると「心がこもってない」とか言いだすおっさん ネットで情報わんさか手に入れてる若いオタクを見ると「昔はこんな情報一つ手に入れるだけでも云々」とか言いだす老害オタク 才能に恵まれた人をひたすら妬む無能 失職して派遣村に入った人に説教したがる再就職で苦労したクチの人 在日外国人は簡単に生活保護もらえると聞いてキレる低所得者 職のある外国人労働者をヘイトするリスト

    自分と同じ苦労をしなくていい人を見るとキレる人々 - 狐の王国
  • 個人の狂気を見い出すフィルタリングシステム:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点

    映画は風景を描く 世界を代表する三つの国の映画産業――アメリカ映画とフランス映画、そして日映画の違いって何だろうか? そういう問題提起がある。 観点はさまざまにあるから単純化しすぎるのは危険かもしれないが、こういうひとつの切り口がある。「アメリカ映画は物語を描き、フランス映画は人間関係を描き、日映画は風景を描く」。ハリウッド映画は完璧なプロットの世界で、物語という構造を徹底的に鍛え抜いて作り上げ、導入部からラストシーンまで破綻なく一道を走り抜けられるように構成されている。 フランス映画の中心的なテーマは、関係性だ。夫婦、父と子、男と愛人、友人。そこに生まれる愛惜と憎悪をともに描くことによって、人間社会の重層性を浮かび上がらせる。 日映画は、風景を描く。自然の風景という意味ではない。目の前に起きているさまざまな社会問題や人間関係の葛藤、他人の苦しみ、さらには自分の痛み。われわれに

    個人の狂気を見い出すフィルタリングシステム:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点