【聖地】当時はゴール・・・本当はスタート地点だった 1981年選手権・岐阜南の棚橋祐司さん 【甲子園100年ぎふ】(19)
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【聖地】当時はゴール・・・本当はスタート地点だった 1981年選手権・岐阜南の棚橋祐司さん 【甲子園100年ぎふ】(19)
東日本大震災から10年。震災直後、帰宅困難者対策が課題として浮かび上がった。県内から名古屋市へは約4万7千人以上が通勤・通学している。震災で公共交通機関がストップしたらどうなるのか。記者が名古屋市から岐阜市まで実際に歩いてみた。12時間歩いて分かったのは「無謀」だということ。体力の問題だけでなく、災害時の徒歩帰宅には多くのリスクがあった。(初掲載は2021年3月11日) 約1週間前 インターネットで検索すると、JR名古屋駅から岐阜新聞社本社(岐阜市今小町)まで最短距離で徒歩で32キロ、6時間48分と出た。「マラソンと比べれば歩けない距離ではない」。そう考え、本社デジタル報道部の40代と30代の男性記者2人が挑戦することにした。 当日 岐阜市に向かって歩き出す記者2人=名古屋市中村区、JR名古屋駅前 快晴だが、ビル風に吹かれて寒い。気温6度。40代記者は「災害に備えていない」との設定で、いつ
笠松競馬場(岐阜県羽島郡笠松町若葉町)が1935年にオープンしたのとほぼ同時期から場内で営業を続けている名物の食堂がある。濃厚なみそ風味のどて飯が評判の「マルキン」だ。1980年代の競馬ブーム、来場者数や売り上げの低迷で存廃が取り沙汰された2000年代初頭、開店休業状態の続いた新型コロナウイルス禍を経て、今も競馬ファンたちのおなかを満たしている。 ■ぎふグルメマップ2023 ■ぎふグルメマップ2022 町の中華料理店のような赤いカウンターテーブル、木目調の壁など年季の入った店内。ガラス戸の冷蔵庫には、ポテトサラダや酢さば、じゃこおろしなど手作りの一品料理。伝説の名馬オグリキャップの額入り写真や、その横には人気ゲーム「ウマ娘」のキャラクターデザイン缶も並ぶ。「息の長い店だから、いろいろな所が傷んでいるよね」。店の3代目山田琢也さん(46)は店内を見渡して言う。 競馬場のオープンとほぼ同じ時期
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