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2008年2月28日のブックマーク (3件)

  • 制度論と同型化理論(続き) - 社会学者の研究メモ

    前々回エントリの続き。 結論から言うと、同型化理論をはじめとする社会学的な組織論は、やっぱり組織自体をうまく説明できていないと思います。というか、説明体系がそもそも「それって別に組織じゃなくてもいいんじゃない」というつっこみを許しているのです。もちろん、そういった説明を組織の経済学が行っていて、それでも説明できないことを社会学が説明したのだ、という言い方もあるでしょう。しかしその際に用いた説明合理性が汎用的すぎるように思えるのです。 組織論は、以下のような条件を備えているべきだと思います。 人々が市場のようなアドホックな関係ではなく組織的関係を築くようになることを、合理的選択の結果として説明できること。 様々な形の組織(単純に言えばヒエラルキー型組織とネットワーク型組織)があることを、やはり合理的選択の結果として説明できること。 この条件を満たしているのは、社会学の組織論ではなくて経済学

    制度論と同型化理論(続き) - 社会学者の研究メモ
  • 制度論と同型化理論 - 社会学者の研究メモ

    夏休みももう少しで終わり...(ふつうはもう始まってるか)。いい機会なので、きちんと読み直してみました。河野先生の『制度』。 ここではの感想ではなく(言うまでもなく必読だと思う)、諸分野での制度論の比較を論じてみましょう。 まずは社会学の制度論。一番有名なのは「同型化isomorphism」理論*1でしょう。これはある制度が導入される際に、導入される環境において来なら制度の形を変える方が合理的であるはずなのに、そうはならずに判で押したように同じような形の制度が導入され広がっていく、という理論です。有名なのは男女平等参画制度の広がりが多くの場合内部適用性ではなく外部的な規範の導入をきっかけにしていたという話がありますが、その他にも政治制度、軍隊の形式なんかは内部的合理性からつくりあげるのではなく外部の既存の形式を導入することが多いわけです。 同型化理論を提起したディマジオはしかし、「合理

    制度論と同型化理論 - 社会学者の研究メモ
  • 「米兵が悪いのは当然として」って本当? - 過ぎ去ろうとしない過去

    小田実だったと思うが、次のような主旨のことを言っていた。 市民がカリー中尉*1のような人物を非難しようとするとき、国家は裁判なりをして彼を切り捨てることで難を逃れようとする。もちろんカリー中尉の側にも言い分はあって、俺たちは国家のためにやったのだと主張するかもしれないが、その場合国家は、なるほどあなたたちにそうさせたのは国家かもしれないけれど、ではその国家(政府)を選んだのは誰ですかという話になって、結局市民の側に責任を押し付けられてしまう。そうではなくて、カリー中尉と市民の両方の側から国家を追い詰めていくことは出来ないだろうか。 沖縄の事件ももしかすると同じような話なのかもしれない。「米兵が悪いのは当然として」「少女にも責任が」の論法に何よりもまず違和感があるのは、みんなあまり指摘していないが、沖縄の事件で基地や安保に目を向けている人たちはそもそも「米兵が悪いのは当然として」っていうのに

    「米兵が悪いのは当然として」って本当? - 過ぎ去ろうとしない過去