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ブックマーク / hokusyu.hatenablog.com (37)

  • いわゆる「ボーイズクラブ」問題に寄せて - 過ぎ去ろうとしない過去

    昨年三月頃に明らかとなった呉座勇一氏による誹謗中傷事件の被害者に対して、これまで見るに堪えない激しい二次加害が行われている。その件に関して、考えていることをここでいくつかコメントしておくとともに、ジェンダーや他の差別問題に対してバックラッシュを行い、学問研究の風通しを悪くさせている醜いボーイズクラブ文化が一刻も早く消滅することを願っている。 被害者に対する二次加害は問題が発覚したときから続いていたが、それがより激しくなったのは、呉座氏の処分が明らかとなり、それが訴訟問題へと発展したときからだ。 呉座勇一氏によれば、彼は昨年一月に常勤職への昇格の内定を日文研から受け取っていたが、三月の誹謗中傷事件ののち再審査が行われ、内定が取り消しになったという。また呉座氏はかかる事件について一ヶ月の停職処分も受けている。呉座氏は自身の行いや考え方が誤りであったことは認めつつ、この「処分」は不当に重く、また

    いわゆる「ボーイズクラブ」問題に寄せて - 過ぎ去ろうとしない過去
    namawakari
    namawakari 2022/01/21
    “なぜそれをオープンな場で語ってしまうのだろうか…そもそも「語る場」への無自覚さが、呉座氏が四〇〇〇人の前で公然と誹謗中傷を行ってしまった一因なのではないか”
  • 書評:綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社、二〇一九年) - 過ぎ去ろうとしない過去

    「差別はいけない」とみんないうけれど。 作者: 綿野恵太 出版社/メーカー: 平凡社 発売日: 2019/07/18 メディア: 単行(ソフトカバー) この商品を含むブログを見る このの結論、すなわち、我々は「経済と差別というふたつの領域で平等を求める」「ポリティカル・コレクトネスを大義とした、古臭い左翼であり、新しい左翼でもある」と宣言すべきだという結論*1には異論はない。 だが、私が思うのは、このの内容に代表されるように、なぜ人は、差別の問題とその解消をひたすら訴えかけるような現在の反差別運動にひとつの行き詰まりを感じてしまうのか、ということである。小説でもテレビドラマでもよい。10年前、20年前、30年前のコンテンツを見てみるがいい。いかに現在の視点からは耐え難い差別表現が随所にみられることか。そしてそれらは現在、いかに解消されてきたことか。現在のバックラッシュが激しいとはいえ

    書評:綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社、二〇一九年) - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 『主戦場』を見た後に - 過ぎ去ろうとしない過去

    軍「慰安婦」問題を描いたドキュメンタリー映画『主戦場』(ミキ・デザキ監督)が評判となっている。上映している場所が少ない(関東では2館。私が見てきた5月上旬の段階では1館)こともあるが、常に満席。事前予約は必須で、平日の午前中ならばなんとかなるだろうと当日訪れた私は、後日に出直しを迫られた。 映画は、「慰安婦」に対する「支援派」と「否定派」、のインタビュー映像が交互に繰り返されることによって進んでいく。しかし、「否定派」の議論の稚拙さがすぐに明らかになる。誘導によってではない。かれらはカメラに向かってほとんど無防備に、普段から自分たちが主張していることを、主張している通りに喋る。だがその主張は、その後の「支援派」の主張やナレーションによって直ちに否定される。主張のそれ以外は、議論の余地なく嫌悪感をもよおすような、差別、明白なウソ、陰謀論である。 この映画は双方の議論について、いわゆる「両

    『主戦場』を見た後に - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 「反ヴィーガニズム」問題について - 過ぎ去ろうとしない過去

    5月に入ってから、twitter上ではヴィーガンを攻撃するようなツイートが、目立って増えてきている。なぜ突然そのような現象が起きたのか。一説では、まとめサイト(アフィリエイトサイト)における仕掛けがあるという。 話に聞いたところ、反ヴィーガニズム、どうやら匿名掲示板、アフィブログ、Twitterが連動して盛り上げてるみたいですね。 特に匿名掲示板では3月中旬から同じIDで立てまくってるやつがいる、と。 アンチフェミなどと同様で、恣意的な流れを作って誘導してる輩がいるようで。 — 孔悠鬼 (@kongyouguai) May 20, 2019 真偽のほどはさだかではないが、たとえきっかけがまとめサイトのアクセス数稼ぎにあったとしても、けして彼らを「アフィブログに釣られた情弱」とバカにしてはいけない。むしろ日twitterにはヴィーガンに対して進んで攻撃的な態度をとるようなユーザーが潜在的に

    「反ヴィーガニズム」問題について - 過ぎ去ろうとしない過去
    namawakari
    namawakari 2019/05/28
    “無垢だろうが何だろうが否応なしに巻き込んでいく、また巻き込まれてしまうのが政治の力である。これまでそうしたことに気づかずに生きていけていたとすれば、それはマジョリティの特権”
  • 民主主義2.0とカール・シュミットの「民主主義」 - 過ぎ去ろうとしない過去

    東浩紀の「民主主義2.0」の議論は、実は朝生を見たぐらいであとは断片的にしか追いかけてないのだけれど、情報をある程度総合するに、彼はルソーの直接民主主義を引用しながらこの新しい「民主主義」のあり方を説明しているらしい。しかし、ぼくにはもう一人、彼の議論には隠された登場人物がいるような気がしてならない。それは、カール・シュミットである。東浩紀がシュミットを読んでいることはすでに明らかになっている。そして、シュミットもルソーを引用して「民主主義」を説明するのだ。 1923年に出された『現代議会主義の精神史的地位』において、シュミットはルソーの「一般意志」について次のように述べている。「人民は元来決して具体的な内容に協賛を与えるのではなく、抽象的に、投票の結果現れる一般意志に、協賛を与えるのである。・・・この結果が個々人の投票の内容と誤っているならば、評決に敗れた者は、彼が一般意志の内容について

    民主主義2.0とカール・シュミットの「民主主義」 - 過ぎ去ろうとしない過去
    namawakari
    namawakari 2018/11/22
    2018年の今読むと、正鵠を射た東評ではないかと。
  • 映画『デトロイト』あるいは人種妄想をめぐるグレートゲーム - 過ぎ去ろうとしない過去

    映画『デトロイト』を見てきた。 見る前に知人から胸糞映画だと言われて覚悟していたのだが、実際、胸がスッとするようなカタルシスは最後まで訪れず(史実に沿っているのだから仕方がないが)、見た後も頭痛がしてしばらく落ち込んだままだった。 この映画は黒人差別を扱ったものだが、その描き方については様々な観点から批判がなされている。たとえば古谷有希子は、この映画は公民権運動の一部としてのデトロイト暴動の背景や意味について触れることなく、ただその暴力性にスポットを当てており、黒人に対してネガティヴなイメージを喚起する差別助長映画であると喝破している*1。また、Shenequa Goldingも、この映画は「ホラー映画」の演出を用いてしまったことで、それぞれの人物の個性が埋没してしまったことを指摘する*2。やはりここでも問題になっているのは、センセーショナルな暴力にスポットが当たっているため、質的な問題

    映画『デトロイト』あるいは人種妄想をめぐるグレートゲーム - 過ぎ去ろうとしない過去
    namawakari
    namawakari 2018/02/14
    最近いまさら読んだ『1984』の中に次のような文章があった。「一般的に言えば、理解力が大きいほど迷妄は大きくなるし、知的に過ぎると正気でいられなくなる。」
  • 国家/内戦/シン・ゴジラ - 過ぎ去ろうとしない過去

    地の上にはこれと並ぶものなく、これは恐れのない者に造られた ――ヨブ記41.33 近代国家を聖書に出てくる大怪獣リヴァイアサンに喩えたのはホッブズであった。ホッブズによれば、人間の自然状態は万人の万人に対する闘争であり、そこに安息は無い。従って人間たちは自らの権利を国家へと委譲する契約を結び、国家の保護を得る。保護と服従の関係が、国家と国民の関係を規定する。国家はその領域において唯一の主権的共同体である。 カール・シュミットは、『政治的なものの概念』において、国際社会を複数のリヴァイアサンが競合する多元的な空間として考えている。国際間においては、国家の国民に対する保護は、他の国家からの保護でもある。むしろ国民は他の国民に対抗するために国家をつくる。国民の結集は、「政治的なもの」によって行われる。つまり、友と敵の存在論的な区別によって行われる。国家の主権者は、政治の概念に即して、国家の敵を正

    国家/内戦/シン・ゴジラ - 過ぎ去ろうとしない過去
  • まどかの救済――あるいは背中のまがったこびとの話 - 過ぎ去ろうとしない過去

    2月のエントリ「約束された救済――『魔法少女まどか☆マギカ』奪還論」は、編があのような結末をむかえたこともあって、大きな反響を呼んだ。もちろん、あのエントリは予測でも願望でもなく、魔法少女の理念をただ著しただけにすぎない。しかし、内心の予想以上にあのエントリとぴったりくる結末だったのをみて、人が一番驚いているとともに、ベンヤミンと『まどか☆マギカ』の相性はよいということを、ますます確信するに至った。 ところで、人気番組終了の常なのだが、最終回以後、様々な感想がネット上に飛び交っている。満足した者、満足してない者、それぞれいるだろう。あの結末は納得がいかない、という人がいるのはあたりまえのことである。ひとにはそれぞれ価値基準があるのだから。しかし、あのわかりやすい最終回を見て、なお見当違いな解釈をおこなっている人びとも多く見られる。それはたぶんにドグマ的であり、「誰かが幸福になるには誰か

    まどかの救済――あるいは背中のまがったこびとの話 - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 「一般意志」とは何か - 過ぎ去ろうとしない過去

    紙屋研究所の紙屋氏が東浩紀の「一般意志2.0」をdisっているのだけれど、何か質を外している気がします。 ■架空インタビュー2.0 『一般意志2.0』ふたたび http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20120306/1331001376 特に違和感をもったのが、「差異の総和」について書いている部分。 ――「差異の和」のくだりですね。 そうです。岩波文庫の桑原・前川訳の方で紹介します。 これらの特殊意志から、相殺しあう過不足をのぞくと、相違の総和として、一般意志がのこることになる。(岩波版p.47) この最後の部分「相違の総和として、一般意志がのこることになる」は、フランス語の原文では「reste pour somme des différences la volonté générale.」となるので、東訳よりも桑原・前川訳の方がいいと思いますね。 こ

    「一般意志」とは何か - 過ぎ去ろうとしない過去
    namawakari
    namawakari 2012/03/09
    “一般意志そのものから何らかの意見が導かれることはないので、一般意志を手段として統治を行うことは出来ません。しかし、一般意志は定義により善です。よって、統治の目的が、一般意志を現前することになる”
  • 米粒があたかも人間であるかのように――小池晃氏都知事選出馬への支持表明 - 過ぎ去ろうとしない過去

    ――君たちはいつもそうだね。反石原統一候補はすでにいるのに、それが共産党だと分かると決まって別の候補を探そうとする。わけがわからないよ。どうして"現実主義"リベラルは、世論の支持にこだわるんだい? ※最初の数段落は左翼の人向けなので飛ばしてもらっても結構です わたしは一応ドイツ歴史なるものを研究していたりしていなかったりするので、議会制民主主義へのシニシズムに対してはもともと批判的でした。まさにそのシニシズムこそが、ワイマール体制を崩壊に導いた元凶だと思っていたからです。 しかしここ数年、やはり議会制民主主義は質的にはマジョリティとマイノリティの格差を追認することでしかないのではないか、という思いが強くなりつつあります。もちろんすぐできる改善はあります。(理念と実証科学に基づいた)選挙制度改革、供託金の廃止、外国人参政権の導入などです。しかし、少なくとも現在の日の国政選挙・地方選挙に

    米粒があたかも人間であるかのように――小池晃氏都知事選出馬への支持表明 - 過ぎ去ろうとしない過去
    namawakari
    namawakari 2011/03/11
    現実と理想をすり合わせようとせずに、とめどなく現実主義を追求した結果が機会主義者の群れが跋扈する現状だと思ってる。
  • 「国家社会主義」はなぜ支持されたのか - 過ぎ去ろうとしない過去

    ■ナチスの「25カ条綱領」は日人必読では http://mojix.org/2010/10/11/national-socialist-program ■右翼(国家主義)と左翼(社会主義)は反対概念ではなく、独立概念である http://mojix.org/2010/10/14/left-and-right まああらゆるレベルで間違っていると言えてしまうのですが、キリが無いので少しだけ。 ■誰がナチスを支持したのか? ワイマール共和国において、ナチスは政権を取るまで一度も過半数の議席を獲得したことが無い、というのはよく知られているとおりです。1933年の選挙でナチスは288議席を獲得しましたが、それでも全体の4割程度を獲得したにすぎませんでした。退潮傾向にあったとはいえ社会民主党は120議席と3ケタを維持し、共産党も前回から票を減らしたとはいえ81議席を獲得しました。また、カトリック政党

    「国家社会主義」はなぜ支持されたのか - 過ぎ去ろうとしない過去
    namawakari
    namawakari 2010/10/14
    さすがにこの辺の話はお手の物か。
  • リフレ派とナショナリズム - 過ぎ去ろうとしない過去

    ■「人災」事件追記 http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__100821.html この記事に限らず、 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20100816/p1 のコメント欄でしたぼくの「ナショナリズム」発言が問題になっているようなので、とりあえず自己フォローをしておきます。 まずぼくは、リフレ論がその内的論理の結果ナショナリズムに結びつくという議論をしているわけではありません。ナショナリズムは、その議論の内的論理だけでなく外形や議論のされ方によっても喚起されます。リフレ論に関して言えば、よく知りませんがマクロ経済っていうのの重要な指標のひとつにGDPってのがあって、それは普通国家単位で算出されるんですよね?さらに、日で行われてるリフレ(金融)政策論の中心は円という日国の通貨をどうするかという話であって、だから日銀どうする問題とかが

    リフレ派とナショナリズム - 過ぎ去ろうとしない過去
    namawakari
    namawakari 2010/08/23
    最後の段落が、うーむ…確かに「えらすぎる」とか言いつつも、何もしないもんなあ。
  • 「男はケモノ」が「女性の自衛」と結びついていること自体が差別 - 過ぎ去ろうとしない過去

    「男はケモノ」という論法は確かに問題かもしれませんが、それ以上に「男はケモノ」ということで何を言おうとしているのかがもっと問題です。 ■強姦するのが男の性なら去勢するのが自己責任でしょ http://d.hatena.ne.jp/Francesco3/20091129/1259458069 「強姦するのが男の性なら去勢するのが自己責任」は、単なる極論に極論をぶつけているわけではありません。「強姦するのが男の性」いわゆる「男はケモノ」という前提を、「だから」女性は自衛しなければならない、という結論に接続させること自体が女性蔑視的である、ということを暴露しているのです。 「男はケモノ」であるとしましょう。世の中に、人間を手当たりしだい襲うような「ケモノ」がうろうろしている場合、まっさきに対策されるべきは「ケモノ」の排除です。たとえば野犬が増えて人々の身が危険になった場合、ふつうは野犬を捕まえて

    「男はケモノ」が「女性の自衛」と結びついていること自体が差別 - 過ぎ去ろうとしない過去
  • NHKスペシャル『アジアの“一等国”』が伝えようとしたもの - 過ぎ去ろうとしない過去

    お返事がたまっている。ううう。 ■シリーズ JAPANデビュー 第1回 アジアの“一等国” http://www.nhk.or.jp/special/onair/090405.html さて、台湾問題を扱ったこの番組が「反日」であるという理由で問題になっているらしい。確かに、「そのとき歴史が動いた」ならば「良き植民地主義者」として描かれるであろう後藤新平の差別主義者、弾圧者としての側面を強調するなど、非常に興味深い番組であった。 しかし、台湾の人々の植民地時代にたいする批判的な証言を多く紹介し、日支配の抑圧的な側面を取り上げたからといって、それが「親日的な」台湾、あるいは「親日的な」台湾の人びとについて事実を歪めたとする考えは、あまりにも皮相的に過ぎるといえよう。現代台湾の植民地時代にたいするアンビヴァレント性は、以下の記事に詳しい。 ■「台湾=親日」 http://blog.lived

    NHKスペシャル『アジアの“一等国”』が伝えようとしたもの - 過ぎ去ろうとしない過去
    namawakari
    namawakari 2009/04/12
    「反日」:「親日」という二項対立って思考停止だよなあ。
  • 「ホロコースト産業」の何が問題か - 過ぎ去ろうとしない過去

    「ホロコースト産業」については以下のリンクに要約がある。 http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_hb/a6fhb811.html http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20061004NGFinkelstein.htm また、今回この文章を書くにあたって以下のなどを参照した。 「シリーズ・ドイツ現代史」は値段・分量ともに手ごろで、また質の高い議論がなされていると思うので、機会があったらぜひ参照してほしい。 さて、題の批判にはいるが、このの問題をここの資料まで検証して指摘していくのはキリがないし、質的だとは思えない。よって、いくつか確実に問題点を指摘できることをいくつか取り上げた。したがって、取り上げていない論点に関してぼくが承服しているというわけではない。 ■ユダヤ人請求会議は、

    「ホロコースト産業」の何が問題か - 過ぎ去ろうとしない過去
    namawakari
    namawakari 2009/03/28
    コメント欄がかなり残念な感じに。一家言もってるならブログに書けばよいのではないかと。
  • もうダメだ - 過ぎ去ろうとしない過去

    のパレスチナ支援運動は「反ユダヤ主義」と紙一重だとずっと思っていた。あの「ナブルス通信」でさえ、フィンケルシュタインを留保無しで肯定的に扱っていた。 でも、現在パレスチナがイスラエルによって圧倒的な暴力にさらされていることを考慮すれば、心情としてそのような気持ちを持ってしまうこともおかしくないし、それを公表してしまうのかもしれない。その怒りさえ否定してしまっては、運動家はただの評論家に堕することになる。そう思って今まではあまり指摘してこなかった。 でも、ここ数日のパレスチナ支援家と歴史修正主義との親和性を見てると、やっぱダメだと思った。確かにパレスチナは緊急の暴力にさらされている。でも、ぼくたちは安全な日にいる。であるならば、パレスチナにたいするコミットは、より厳しい倫理が求められるはずである。運動家は倫理的に高潔でなければいけないとは思わないし、運動は資格を問わずに参加できるのが望

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  • ルールと共生 - 過ぎ去ろうとしない過去

    ■中3女子「卒業式出たい」 茶髪注意され、教諭にはさみ押し当てる http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/saitama/090314/stm0903141620005-n1.htm 越谷署の調べでは、事件当日、同校は卒業式。午前9時45分ごろ、女子生徒が遅刻して体育館に現れたところ、男性教諭に「スカートの丈が短い。髪の毛が茶髪だ」と指摘され、保健室で注意を受けていた。越谷署の調べに対し、女子生徒は「卒業式に出席させてほしかった」と供述しているという。 学校における髪型規制だの服装規制だのといったものは、それ自体に何か意味があるわけではなく、たんに大人が子どもを服従させたいということ、あるいは権威にたいする服従精神を子どものうちから「調教」しておきたいということでしかない、という点については、今は2009年ですから最早常識といってよいでしょう。ヒトラーは

    ルールと共生 - 過ぎ去ろうとしない過去
    namawakari
    namawakari 2009/03/16
    “ここで巧妙に偽装されているのは、理不尽な命令でしかない校則があたかも民主的なルールであるかのように偽装されているということです”
  • ブックマーク表示が復活しました - hokusyu’s blog

    削除依頼を受けたブクマの一部を改定することで、ブックマーク表示が無事復活となりました。 誤解の無いように言っておくと、今回はてな様には出来る限りのリベラルな対応を取っていただいたと思いました。この件について、はてな様への悪感情はまったく持っておりません。 ブコメやスターを見るに、今回の件でid:fuku33さんこと三宅秀道先生のさもしさがより認知されたようであるので、先日書いたように私としては満足して修正に応じたわけであります。 さて、これを受けてインフルエンザが完治した三宅秀道先生が、「クールダウン」されて自分に向けられた批判にたいしてきちんと対応されるのか、それともさらに「ヒートアップ」して削除依頼を乱発されるのか、気になるところであります。

    ブックマーク表示が復活しました - hokusyu’s blog
    namawakari
    namawakari 2009/02/09
    「さもしい」云々は相手の土俵に乗っちゃうだけじゃないかと思うが、表示が復活したのはいいことだ。
  • ずいぶんと「ヒートアップ」されているようですが - hokusyu’s blog

    ■私が削除照会したブックマークコメントの内容について http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20090207/1233980753 ネットの論争におきましては、「頭がヒート」したほうが先に削除依頼を出す、というのがわたくしの経験的な判断でありますが、それはまあ良いでしょう。 Automatons Hacking Guideに対するロマンスさんと私のコメントは、「トリアージ」を一般社会の現象を説明するときに用いることでいかなる誤謬が発生するかを明確に示したエントリに対して、それは「ケーキ」エントリの問題性と一致していることを指摘したものであるので、「私とはなんの関わりもない」わけではありません。もちろん、福耳先生と当該エントリの人個人としては「なんの関わりもない」でしょうが、ブログという公開のテクストにおいては「関わり」があるのであって、それこそがまさに福耳の「人格批判」

    ずいぶんと「ヒートアップ」されているようですが - hokusyu’s blog
    namawakari
    namawakari 2009/02/08
    “半ば本気で死んで欲しい”はどこかで見た記憶がある。誰のだったか、fuku33氏関連だったかも覚えてないが。まあ、「徒党」認定してしまえば誰のタグでもいいのかもしれない。
  • 「政治」を「する」ことと「政治」で「ある」こと - 過ぎ去ろうとしない過去

    東浩紀のカール・シュミット読解は誤読が多いとずっと思っていた。 例によって速記者が正しければだが、 http://d.hatena.ne.jp/nitar/20081205/p1 カール・シュミット『政治的なものの概念』を何回か取り上げた 何を言っているか 政治は友と敵を分けることだ 友と敵を分けることが政治 誰かが自分の存在を抹殺するかもしれないから相手を抹殺 精神的な意味でも隠喩でもない 「政治は友と敵を分けることだ」とはシュミットは言っていない。 政治的なものは、特有の意味で、政治的な行動がすべてそこに帰着しうるような、それに固有の究極的な区別のなかに求められなければいけない。 (『政治的なものの概念』p14) カール・シュミットにとって「政治」とは、「道徳」や「経済」とははっきりと分けられなければいけない、「友」と「敵」の区別において見出されるものなのである。それは具体的・存在論的

    「政治」を「する」ことと「政治」で「ある」こと - 過ぎ去ろうとしない過去