思いは言葉に。 はてなブログは、あなたの思いや考えを残したり、 さまざまな人が綴った多様な価値観に触れたりできる場所です。
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昨日、変な夢をみた。夢はみんな変なもんで、夢の主体は私なのかどうか定かではないが、私らしい奴がid:hayakarさんのお宅にお邪魔していた。hayakarさんはなぜか寡黙だった。そこに若い娘がいて、なんやかやと世話を焼いてくれた。そのうち近所を案内してくれることになった。彼女の後について、路地をくねくねと辿っていった。するとなんと港に出た。海が見えた。彼女は振り返って、どう? 素敵でしょう? といった表情で微笑んだ。夢の中で「秀子さん」に会うとは、、。 最近、原生林に沿った道でカラスに襲われた人の話をたてつづけに聞いた。今は繁殖期の後半、雛を育てる時期に当たっていて、親鳥たちは非常に神経質になり、巣に近づく人間を本能的に警戒して、威嚇したり攻撃したりすることがあるという。怖いのでしばらくその道は歩かないことにした人もいる。不思議なことに、それまで毎朝その道を歩いている私は襲われたことがな
20歳の時だった。 「私、宮沢賢治好きだからNゼミにする」とnoahさんが言ったので 「私も宮沢賢治好きだし、noahさん好きだからそうしよう」と ふかく考えずに入ったNゼミは、 同学年の中でも感性と感覚のするどい個性的で魅力的な人たちばかりがあつまる 一種異様なゼミだった。 教室でも、一人一人バラバラに座って黙って黒板をみつめていて 緊張感がみなぎっていた。 まだ中学生にしかみえないような私にはとてもかなわない言葉たちが次々と 発表されていくなかで、 あるとき、絶対零度の狂気を秘めた言葉ばかりを書いていたS君の作品の中に一行 こう書かれていた。 「死ぬまで生きる」 これを読んだK君(彼もまた一部の学生たちのカリスマで伝説的な人物だ)が 「これは究極だ。この言葉を書いてしまったら、これ以上の言葉なんかない。」 と言った。 そのとき私にはさっぱりわからなかった。 でも、今日吉行理恵を再度読み
豊原清明「有磯海のシンとジン」(「映画布団」2、2009年05月発行) 豊原清明「有磯海のシンとジン」はシナリオである。「シンとジン」は重なり合うと「詩人」である。詩人を主役にした映画であり、登場人物は詩人と父と母と、詩人が出会う何人か。その日常(?)を描いているのだが、これがとてつもなくおもしろい。 ほとんど最後に近いシーン。詩人(英)が女(あかり)の家に行く。机の上に男の写真がある。 英「その人、もしかして、恋…。」 あかり「何でもないのよ。信じて。(声が割れている)」 あかりと英が、ベートーベンをききながら、お寿司を食べている。 食べ終わると、あかり、ごろんと横になる。 あかり「私と…」 英「い、いや、何を言おうとした、の…。」 沈黙が三十分くらい経って。 あかりが英を抱こうとして、英が悲鳴をあげ、 あかり「静かにして。」 あかえ、すっぱだかになって英を抱こうとする。 英「もっと、優
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