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ブックマーク / elmikamino.hatenablog.jp (77)

  • 記憶の底割れ - 記憶の彼方へ

    掘り起こせなかった甘い歌を いくつ抱え込んだところで生涯は閉じられるか 山博道『恋唄』(ワニ・プロダクション、1985年)より いま、こうしてぼくの少年期に出会うとき たまらないさびしさがあふれてくる 山博道『短かった少年の日の夏−−遠い風景』(思潮社、1998年)より 家族にまつわる記憶には踏み固められた地面のような底があると感じていた。山博道の詩集を読みながら、そのような底が割れ始めるのを感じないわけにはいかなかった。三十八歳で子宮癌で死んだ母、九十歳をすぎて施設で眠るように死んだ祖父母、七十四歳で肺癌で死んだ父をめぐる記憶が揺らぎはじめた。あちこちに小さな暗い穴が開いて、その底の見えない深みから無性に懐かしいと同時にたまらなくさびしい子どもの唄が聞こえて来るような気がした。

    記憶の底割れ - 記憶の彼方へ
  • ジャズにおける即興演奏に関するビル・エヴァンスの解説試訳 - 記憶の彼方へ

    ジャズにおける即興演奏 ビル・エヴァンス 水墨画の絵師は天然になることを強いられる。絵師は雁皮紙に特殊な筆と墨汁で描く。不自然ともいえる途切れがちの筆運びは描線を破壊し、雁皮紙を突き破ることもある。削除も変更も許されない。絵師は思案の邪魔が入らない直接的なやり方で、着想を手によって表現することができるようになるまで、特別な稽古に励まなければならない。 その成果としての水墨画は、西欧の絵画に見られる複雑な構図と肌理を欠いているが、よく見れば、どんな説明も追いつかない何かをうまく捉えている。 直接的な行為は最も意味深長な思想であるというこの確信は、思うに、ジャズすなわち即興演奏家の非常に厳しく類のない訓練の進化を促してきた。 集団即興演奏にはさらなる困難がつきまとう。首尾一貫した思考を共有する技術的困難はさておき、ここには、共通の成果を目指す全員の共感を引き出さねばならないという、非常に人間的

    ジャズにおける即興演奏に関するビル・エヴァンスの解説試訳 - 記憶の彼方へ
  • タルコフスキーのポラロイド - 記憶の彼方へ

    Instant Light: Tarkovsky Polaroids 晩年(1979年から1984年まで)のタルコフスキー(Андрей Арсеньевич Тарковский, 1932–1986)はロシアとイタリアで、好きな場所、家族(飼い犬を含む)、友人をポラロイドカメラで撮っていた。この『瞬間の光』には、フェルメールの絵画に準える評者もいる、彩度を抑えた色の中で光沢と陰翳を見事に捉えた60枚の写真(前半のロシア編には27枚、後半のイタリア編には33枚)が収められている。書の前書きでタルコフスキーの友人の一人、イタリアの詩人トニーノ・グエッラ(Antonio "Tonino" Guerra, 1920–2012)は、タルコフスキーのポラロイド写真を「人生の儚さを感じている人の目の周りを飛び交う蝶の群れのような映像」と詩的に評している。イタリア編にはトニーノその人とはっきり分かる

    タルコフスキーのポラロイド - 記憶の彼方へ
  • 羈旅 - 記憶の彼方へ

    死をゆく旅―詩集 「羈旅」は古くは「羇旅」と書き、「きりょ」と読む。旅といえば、馬と道連れの旅であった時代を彷彿とさせる言葉だが、『万葉集』以来、「羇旅発思」は和歌・俳句の部立(ぶだて)、つまり分類の一つにもなっている。『万葉集』では巻11と巻12に見られる。岩波文庫版『万葉集(上巻)」の「万葉集概説」のなかで、佐々木信綱は「羇旅発思」について次のように説明している。 羇旅発思 羇旅は家を離れて客たること、両字ともに、たびの意である。羇旅の字面は人麻呂の作その他にも見えるが、巻12のは、旅中で家やを思ふ歌で、単に旅中の自然を詠じたものではない。 佐々木信綱編『万葉集(上巻)』(岩波文庫)27頁 しかし、山博道の詩集『死をゆく旅』(花神社、1992年)を読みながら、特に最後の「羈旅」に至って思ったことは、「家」が帰るべき場所だとしても、所詮、仮の宿にすぎず、人は死ぬまで地上の客として、い

    羈旅 - 記憶の彼方へ
  • フクジュソウもユキワリソウもまだ眠っている - 記憶の彼方へ

    仕事の愉しみ 百年前の三月、ボーデン湖(Bodensee)畔で春を待つヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse, 1877–1962)は次のように語った。 庭をもつ人にとって、今はいろいろと春の仕事のことを考えなくてはならない時期である。そこで私はからっぽの花壇のあいだの細道を思案にふけりながら歩いて行く。道の北側の縁にまだ黄色っぽい雪がほんの少し残り、全然春の気配も見えない。けれど草原では、小川の岸や、暖かい急斜面の葡萄畑の縁に、早くもさまざまなみどりの生命が芽を出している。初めて咲いた黄色い花も、もう控えめながら陽気な活力にあふれて草の中から顔を出し、ぱっちりと見開いた子どもの目で、春への期待にあふれた静かな世界を見つめている。が、庭ではユキワリソウのほかはまだ何もかも眠っている。この地方では春とはいえ、ほとんど何も生えていない。それで裸の苗床は、手入れされ、種が蒔かれるのを辛抱

    フクジュソウもユキワリソウもまだ眠っている - 記憶の彼方へ
  • 夢に深く埋もれ - 記憶の彼方へ

    若松孝二 ---闘いつづけた鬼才 (文藝別冊/KAWADE夢ムック)

    夢に深く埋もれ - 記憶の彼方へ
  • 記憶の彼方へ021:古いネガ - 記憶の彼方へ

    若い母と幼い弟 *** *** プレスバン(Press Van、鈴木光学工業、1953年) 昨夜、半世紀ちかく前に父が撮った二のネガを見ていた。細かい傷がたくさんついているが、思ったほど経年劣化していない。フィルムはFUJI NEOPAN SS 6x6判とSAKURA COLOR NEGATIVE100 35mm。モノクロのネオパンSSには幼稚園児、1963年頃の<私>が、さくらカラーには小学2年生、1965年頃の<私>が写っている。6x6判と35mm兼用のプレスバンで撮ったのだろう。デジタル化して保存するために、一部スキャンを試みたが、途中で止めた。劣化を素直に受け入れて時々ネガを眺めるだけでいい。劣化が進み像が消えるのを見届けるのも悪くない。なぜかそう思い直した。 関連エントリー Press Van(2012年05月10日) 記憶の彼方へ001:私の知らない祖父母(2008年02月2

    記憶の彼方へ021:古いネガ - 記憶の彼方へ
  • 植苗、社台、室蘭 - 記憶の彼方へ

    植苗駅(JR千歳線)、苫小牧市 苫小牧市植苗 植苗 うえなえ ウトナイト沼(通称ウトナイ湖)の北一帯の土地の名。美々川(びびがわ)の中流に東から入っているウェン・ナイ(悪い・川)から出た名らしい。ウェンナイは道内至る処にあった川名であるが、何で悪かったかは殆ど分からなくなっている。徳川時代に、そこに炭焼小屋があり、勇払から千歳方面への陸路の人の休み場になっていたという。そんな処からこの名が付近一帯の地名になったのであろう。 山田秀三『北海道の地名』北海道新聞社、1984年、379頁 地名の由来はよく分からないことが多い。これもウェンナイが植苗になったらしい理由はよく分からないという説明であるが、なぜか「炭焼小屋」が印象に残る。 室蘭街道(国道36号)、白老郡白老町社台 社台 しゃだい 白老町内の地名、川名。永田地名解は「シャ・タイ・ペッ。前・林・川。蝦夷紀行にシヤタイペツの流あり、夷村あり

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  • ガジュマルの廻廊:石牟礼道子『常世の樹』 - 記憶の彼方へ

    常世の樹 天草上島栖のアコウの樹、五島福江島の椿、福岡県英彦山(ひこさん)の杉、鹿児島県大口市の桜、熊県五箇荘葉木の樅の木、熊県阿蘇俵山のカゴノキ(鹿の子木)、大分県檜原山の千かつら、大分県高塚の公孫樹(いちょう)、鹿児島県蒲生の樟(くすのき)、鹿児島県屋久島の杉、山口県祝島の桑、沖縄伊芸のガジュマル。 書は表向きは三十年前に石牟礼道子さんが南島の古樹に逢いに行った旅の記録であるが、その内実は西欧近代文明批判である。彼女は沖縄の嘉手納基地そばの廻廊の如き、気根が垂れ下がるガジュマルに、パルテノン神殿とは異質な文明の可能性を垣間みた。 ヨーロッパ文明のひとつの帰結がアメリカであり、それをなぞって来た戦後日の、圧倒的金権信仰の餌となったのはほかならぬ水俣だった。人類愛とまでは云わない。せめてささやかな慎ましい生命をいとなむ他者への思いやりが、戦後の一地方で、完全に近いほど無くなっ

    ガジュマルの廻廊:石牟礼道子『常世の樹』 - 記憶の彼方へ
  • δ(d) / λ(l)の差異 - 記憶の彼方へ

    昨日まで、英語のOdysseusはギリシャ系の語彙で、Ulyssesはラテン系の語彙だと私は思い込んでいた。英語のUlyssesはラテン語のUlissesの直系である。しかし、ラテン語のUlissesの素性はラテン系ではなくあくまでギリシャ系なのだということに気づかなかったのである。今夕、ストラスブール在住の言語学者小島剛一さんからの指摘によって目から鱗が落ちた。ラテン語のUlyssesはギリシャ語名Οδυσσεύςの方言形Ολυσσεύςから来たものだったのである。つまり、ギリシャ語名における「δ」と「λ」の一文字の差異が、ラテン語名ではOdysseusとUlissesの差異にまで広がり、その一見した差異の大きさの故に、よく調べる前に、Odysseusはギリシャ系の語彙、Ulissesはラテン系の語彙だと思い込んでしまっていたのである。しかし、Ulissesも歴としたギリシャ系の語彙なの

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  • ティータイム:COVER PHOTOS: Sadao Toyoshima, 1965 - 記憶の彼方へ

    asin:B0028RBF48 二枚の魅力的なティータイム(お茶の時間)のモノクローム写真。CDカバーに使われたコントラストの強烈な二人の皺苦茶の老婆の写真と、CDに付された一枚両面刷りの解説の裏に縁なしで印刷された猿のような獣のそれと見紛うばかりの苦労と老いの刻まれた右手の写真。前者では、二人の手前にある卓袱台の上には急須と湯呑みが見える。後者では、おそらく仕事を終えた畑ちかくの地面の上に置かれた湯呑みに入れたばかりのお茶がちょっと泡立っている。それを今まさに持ち上げようとするおそらく老婆の右手の親指と人差し指が独立した生き物のように生々しく迫ってくる。ともに、ティータイム(お茶の時間)の一こまを捉えた写真。孤独の合間、労働の合間に、色んな時間と感情が交錯する豊かな瞬間を捉えたいい写真だと思う。その二枚の写真からすでにそれ自体音楽のような語りやつぶやきの声、そしてまぎれもない歌が聞こえて

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  • 9.11ラスベガスへの手紙 - 記憶の彼方へ

    そちら、ラスベガスはどうですか? 噂どおりの天国ですか? 映画のなかにでもいる気分ですか? 君がとうとうラスベガスに行ったかと思うと感慨無量です。 しかもよりによって9.11に発ったとは。 ちょっと出来過ぎのような気がするけれど、君らしいと思うよ。 もう帰ってこないって、当かい?

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  • 仮初めの住み処、懐かしい人生 - 記憶の彼方へ

    asin:4062136961 清岡卓行は八十三歳の死の年に自分の記憶のなかの断片の情景について次のように書いた。 長い場合には数十年、短い場合でも数年、私の記憶のなかに断片のままぽつんと孤立をつづけ、ほんのときたま、まったく不意に意識の表面に、それもなぜかそのときは鮮明に、あらわれてくる情景がある。 (中略) 私は八十歳を超えたころから、これら断片の情景をそのまま放置せず、小説や詩のなかでなくともいいから、とにかく文字で組み上げて一応は堅固に見える書きもののなかに、わずかな年月でも保存したいと思うようになった。 自分はそのうち死ぬとしても、それら断片の情景がすべて一度も文字でできた仮初めの住み処をもたず、私とともに地上から消えてしまうとすれば、それは物書きであるはずの自分の怠惰のせいではないかといった変な寂しさ、−−他人から見れば滑稽でしかないだろう寂しさを覚えるようになったのである。

    仮初めの住み処、懐かしい人生 - 記憶の彼方へ
  • la mort - 記憶の彼方へ

    スズメ(雀, Tree sparrow, Passer montanus)

    la mort - 記憶の彼方へ
  • 記憶の彼方へ020:未生の記憶のアンソロジー - 記憶の彼方へ

    私が生まれる前に撮られた、私の知らない彼と彼女の写真を見ていると、不思議な気持ちになる。写真の外側の世界ではその後彼と彼女は私の父親と母親になり、しばらく前に亡くなった。死によって、彼らは写真のなかの私の知らない彼と彼女に還って行った。そして写真のなかでは私の知らない時間が今も流れていて、その気になれば私もアリスのようにそこに入っていける。そんな錯覚が現実味を帯びることがある。 関連エントリー 記憶の彼方へ001:私の知らない祖父母(2008年02月27日) 記憶の彼方へ002:私の知らない父と私(2008年09月17日) 記憶の彼方へ003:幼い兄弟(2008年12月02日 ) 記憶の彼方へ004:父母の遺影(2008年12月27日) 記憶の彼方へ005:あやめヶ原の祖母(2008年12月28日) 記憶の彼方へ006:私の知らない私(2009年12月07日) 記憶の彼方へ007:私の知ら

    記憶の彼方へ020:未生の記憶のアンソロジー - 記憶の彼方へ
  • 鈴木清の幻のCD-ROM『漂う水、女――ナジャ』 - 記憶の彼方へ

    鈴木清(1943–2000)が生前刊行した8冊の写真集の表紙。『愚者の船』以外はすべて自費出版。 鈴木清の生前のインタビュー記事の最後に「幻のCD-ROM」の話が出てくる。 質問:写真集、写真展、雑誌の連載などがありますが、最近のデジタルという媒体についてはどうですか。 鈴木:いやおれ、CD-ROMあるんだよ。幻の。150点写真はいっているんだ。 質問:えっ!あるんですか。それは知らなかった。 鈴木:出来てんの。出来たんだけど。事情があって出版がダメになってしまった。世に出すのを。ぼくの手元にあるんだけど、それを上手くプレスすれば商品化されるんだけれど。まさに幻のCD-ROMですよ。自分で編集して、ムービーも、音も入っているんです。見て下さいよ。タイトルは“漂う水、女――ナジャ”ですよ。ぼくも結構サーカスの女など旅先で拾った女性の写真が多いんですよ。インターネットとかパソコンは自分独りで見

    鈴木清の幻のCD-ROM『漂う水、女――ナジャ』 - 記憶の彼方へ
  • 赤いペチュニア - 記憶の彼方へ

    二人はまるで別世界から忽然と私の前に現われて、そしてまたそこに消えて行くかのようだ。今朝もまた二人を見かけた。三度目だ。サフラン公園の東屋の日陰で二人は静かに休んでいた。買い物帰りのようだった。私は異常な暑さを話題にしたが、二人にはそれほど暑く感じられていないようだった。二人はなぜか涼しげに見えた。風が吹いてきたわ。だが、私には風は感じられなかった。彼女は写真のお礼を重ねて言った。居間に飾ってあるのよ。いい記念になったわ。それにしても不思議な縁ねえ。私、新京にいたのよ。新京はご存知? 今の長春ですね。そう、そう。21歳までいたの。14歳のときから。父が政府高官で派遣されたの。大きな家だったわ。将校たちが大勢出入りしていたわ。彼女は牡丹江高等女学校を卒業した。「サザエ品」の会長である野村とみさんと同級生だった。室蘭に引き揚げ後は、丸井今井に勤めた。私が室蘭に生まれ育ったことも彼女にとっては

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  • 記録させる記憶:宮本常一の「記憶」と「記録」 - 記憶の彼方へ

    『宮常一が撮った昭和の情景』上巻、170頁、asin:4620606391 これは宮常一が昭和37(1962)年夏、山口県萩市見島の宇津で撮影したもの。「漁網の上でうたた寝をする男の子。海の子はこうして育つ」というキャプションが添えられている。見島とは山口県の日海側にある絶海の孤島。宇津は古くから北前船の寄港地として知られている漁港。地図ではここ。 大きな地図で見る この写真を「微笑ましく」感じたという佐野眞一は、宮常一が調査に入ってから40年後の2000年の冬に宮が撮影した人物を探しあてることをひとつの目的に見島に渡った。そしていい親父になった「海の子」にいわば再会する。 宮常一が見た日 (ちくま文庫) 作者: 佐野眞一出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2010/05/10メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 20回この商品を含むブログ (9件) を見る 佐野眞一『

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  • 電信浜 - 記憶の彼方へ

    電信浜 父の七回忌の法要で帰郷した折に、若かりし頃の父と母の縁(ゆかり)の地のひとつ、電信浜を訪ねた。 記憶の彼方へ15:私の知らない母の歌声(2010年04月04日) 防波堤が景観を損ねていたが、自然の海岸線は残っていて、小さな入江、浦には昔の時間が流れているように感じた。内陸が人の手によってどんなに変化しても、海は変らない、と書いたのは水上勉だった。その変らない海が人間の深い尺度になることがあると。 「電信浜」という変った名前の由来をはじめて知った。 電信浜の地名は昔「ポンモイ」(小さい湾)と呼ばれていたが、明治24年に逓信省がムロランと対岸の砂原間の海底電線をこの浜から敷いたことから、この名が付いた。(eものづくりのまち[ 観光コース ] 電信浜) 並木凡平という歌人が次のような電信浜の歌を詠んだことをはじめて知った。 ここだけは鉄の吃りも聞えない 電信浜のなみのささやき(スワン社資

    電信浜 - 記憶の彼方へ
  • 海の記憶 - 記憶の彼方へ

    水上勉(1919–2004) 私は母の胎内でどんな時間を過ごしていたか知らない。私は自分が母からどうやって生まれて来たかも知らない。もし母が生きていれば、私を孕み生んだことを、妊婦としての体験、産婦としての出産あるいは分娩の体験を聞くことができたかもしれない。そんなことは敢えて知る必要はないのかもしれない。だが、無性に知りたくなることがある。せめてその時に母が見ていたこと、感じていたことに近づけないものかと思うことがある。特に私を産む瞬間に母は何を見、何を感じ、何を思ったか。そのとき世界はどう変ったのか。いや、そのとき世界はどう始まったのか。 記憶の彼方にありながらも、人生を根源的に方向づけるようなこの世の原光景、原記憶あるいは記憶の器のようなものがあるような気がしてならない。水上勉の「日海の人と自然」を読みながら、ああ、やっぱりそれは「海」だったか、と腑に落ちるところがあった。海の記憶

    海の記憶 - 記憶の彼方へ