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琴線に関するnamgenのブックマーク (5)

  • 正しさだけでは生きてゆけない - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    ずいぶん長く更新しなかったな。この間、吉隆明さんや安永蕗子さんが亡くなられて、感慨もひとしおだった。近親者の死(吉さんと同年)にも見舞われた。まだ肌寒い北陸で野辺の送りに立会いながら、「朝には紅顔ありて夕べには白骨」の無常が胸に沁みた。 の額よりも狭い庭の、冬のあいだすっかり葉を落として寒々しい枯れ木となっていた枝にいつのまにか青い芽がちらほらと見えたかと思うと、まるで一夜明けたらとでもいうようにいっせいに青葉が生い繁り、たちまち万緑の様相を呈したのには驚かされた。自然のもつ命の力を思った。 むろんこの間、いろいろとを読んだりもしていたわけだけれど、それらについてなにか書いてみようという気持ちになかなかなれなかった。ようやく春めいてきて、若葉とともにちょっと気持ちが動いてくるところがあった。今日は雨。今頃の雨を若葉雨という。途中まで書いてひさしく打ち遣っていたものを、これを機縁に書

    正しさだけでは生きてゆけない - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
  • 仮初めの住み処、懐かしい人生 - 記憶の彼方へ

    asin:4062136961 清岡卓行は八十三歳の死の年に自分の記憶のなかの断片の情景について次のように書いた。 長い場合には数十年、短い場合でも数年、私の記憶のなかに断片のままぽつんと孤立をつづけ、ほんのときたま、まったく不意に意識の表面に、それもなぜかそのときは鮮明に、あらわれてくる情景がある。 (中略) 私は八十歳を超えたころから、これら断片の情景をそのまま放置せず、小説や詩のなかでなくともいいから、とにかく文字で組み上げて一応は堅固に見える書きもののなかに、わずかな年月でも保存したいと思うようになった。 自分はそのうち死ぬとしても、それら断片の情景がすべて一度も文字でできた仮初めの住み処をもたず、私とともに地上から消えてしまうとすれば、それは物書きであるはずの自分の怠惰のせいではないかといった変な寂しさ、−−他人から見れば滑稽でしかないだろう寂しさを覚えるようになったのである。

    仮初めの住み処、懐かしい人生 - 記憶の彼方へ
  • la mort - 記憶の彼方へ

    スズメ(雀, Tree sparrow, Passer montanus)

    la mort - 記憶の彼方へ
  • 近況など - まっ赤なかなりあ

  • ジャズ・ピアニスト - 記憶の彼方へ

    当に孤独なときに、孤立無援のときに、それでも生きる勇気を与えてくれるジャズ・ピアニストは、キース・ジャレットではなく、ビル・エバンスだと再確認した、今日。 2004年、アメリカで一年間一人暮らしをした時に買ったジャズのCDはごく僅かだったが、毎日のように聴いたのは、Bill Evans Trio Sunday at the Village Vanguard Featuring Scott La FaroとChet Baker THE LAST GREAT CONCERTの二枚だった。 Google社のあるカリフォルニアのマウンテンビューに住む、滞米中お世話になった人から、今年はLake Tahoにほとんど雪が降らず、水不足が深刻だと知らされた。私の上の娘と同い年の娘さんが事故で重傷を負い、死線をさまよい、なんとか生還し、その後想像を絶するリハビリに家族ぐるみで励む姿に接したことをまざま

    ジャズ・ピアニスト - 記憶の彼方へ
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