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2009年10月11日のブックマーク (5件)

  • 病み上がりの日記 - 記憶の彼方へ

    1夢現 体がだんだん重たくなり、言うことを聞かなくなっていくにつれて意識はどんどん内向して行く。そしてしだいに外界をシャットアウトし、ついにはシャットダウンする。夢現(ゆめうつつ)の状態のなかフジモトマサルのマンガがまた読みたくなって数冊読んでしまった。記憶の強引な編集によって生と死、この世とあの世の境界を往来する主人公日菜子の「二週間の体験」を非常に巧みに描いたフジモトマサルの『二週間の休暇』(講談社, asin:4062140659)のなかにフクロウのおっちゃんがやっている「ニライ書房」という屋が出てくる。ちなみに、日菜子が迷い込む「あの世」はある意味でヒッチコックの『鳥』よりもホラーな世界であり、住人はすべて飛ぶことを忘れた、飛ぶ必要のない鳥たちである。ニライ書房に置かれているはすべて店主のフクロウのおっちゃんが書いた変な題名のばかりだ。日菜子がそんなのなかで『給水塔占い』と

    病み上がりの日記 - 記憶の彼方へ
  • 渓谷0年: 幻の雪

  • 八割ほどは、本当かな - Wein, Weib und Gesang

    ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546) 昨晩は久しぶりに飲んだ。日は体に酒が残っていた。それでも悪酔いをしていなかったのは、ある基準以上のワインだったからであろう。しかし試飲会ではなくあくまでもTVシリーズの試写会パーティーだったので、それほど印象に残るワインなどはなかった。 こうした農業関係者が集う場所に出て、そうした人々を映し出す番組を試写すると、農業に無関係に過ごしている我々にとってはやはり違う関心が湧いてくるのである。ビオとかエコとか自給自足だとかの掛け声の下に議論されているようなことが如何に質に迫らないかが分かってくるのである。なにも、それだから農民の傍に立っているというのではない。 昨晩の話題で特に関連しないことを幾つか羅列してみる。そこには全体像が浮かび上がるのだが、まさに禅のように思想でも思潮でもな

    八割ほどは、本当かな - Wein, Weib und Gesang
  • 寺に住む「寺族(ジゾク)」 - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く

    今日坊守会会計を引き継いだ。順番なんだそうだ。断る理由もない。実は坊守でもない。しかし、それはいいんだそうだ。そのうちFさんあたりから強烈なスカウト受けるだろう。まあそれも仕方ない。 20代のころは抵抗があった坊守会だけど、今は女同士のおしゃべりも楽しいなとも思える。寺に住むもの同士だからわかることもある。且つ婿殿たちが「寺族(ジゾク)」と揶揄するのもわからんでもない。 最近「はなれ」をリフォームした。もう90%出来ている。設計士さんがにっこり笑って「ここに、広いタイプの、こう肘でも押せば電気が付くスイッチがつくよ」といった。「ああ、私もいずれは歳をとるからね。」といったら、「何を言ってるの、お参りにきたお年寄りが押しやすいでしょ。」と彼はいった。 おそらく「はなれ」に「上がる」のは、設計士さんがイメージするお寺に参りに来るお年寄りではない。祠堂などでお斎についていただくことがあったとして

    寺に住む「寺族(ジゾク)」 - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く
  • 読み始めた - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く

    自ら積む功徳にとらわれて他力の信を生(しょう)ずることができない。 『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』浄土真宗願寺派願寺出版社発行 ようやく読み始めた、願寺派の『教行信証』、「浄土真宗聖典」とも書かれている。賛否両論の訳がわかった。 いつか、化身土から全部読みたいと思っていた。これなら読める。いやたぶん、ようやく読めるようになったのかもしれない。

    読み始めた - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く