ドゥルーズとガタリの『千のプラトー――資本主義と分裂症』が、このたび河出文庫に3分冊で収められることになった。訳者は、宇野邦一、小沢秋広、田中敏彦、豊崎光一、宮林寛、守中高明の6名。原書は1980年、翻訳書は1994年だから、刊行から30年、翻訳から16年を経た勘定である。私自身、この本とは短くないつきあいだけれど、未だに「読めた」という気がしない。 いや、誰かも言っていたように、本は読めないものだ。ある書物をどうしたら読み終えてしまうことなどできようか。もちろん、形の上では、最初のページから最後のページまで目を通すことはできる。しかし、それは果たして読み終えたことになるのか。つまり、もう二度とその本を読まずとも読み終えたということにしてしまえるということなのだろうか。そうとも言えない、と思う。 読み手も年々歳々さまざまな経験や読書を通じて、どんどん変化している。そのつど問題意識も違えば、