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nikojuに関するnamgenのブックマーク (10)

  • 鼻つまみ者じいさん - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く

    村の鼻つまみ者じいさんの添いあいが亡くなった。そのおばあさんは長い間富山の娘さんが連れて行って面倒を見ていたので、じいさんは長い間一人暮らし。亡くなったおばあさんはじいさんとちがってとっても優しくて気が利いて新しいものをとりいれることができる人だった。わが村でトマトやサラダ菜を初めて作った方だったそうだ。 じいさんはお通夜の晩も、僧侶たちが正信偈のお勤めで声を張り上げている時も、導師がいっしょうけんめい通夜説法している時も、葬儀会場最前席の喪主横で、鼻眼鏡でふんぞり返っていた。あの場所であそこまでふんぞり返って座っている人を私は初めて見た。 じいさんはひとりで泣くだろうか

    鼻つまみ者じいさん - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く
  • 関心のない私を見捨てることなく、如来は呼びかけ続けておられる。 - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く

    人前で話す機会がある私は、何も話せないと思うことが多々あります。私なんか何も話すことがない、そうよく思うのです。今日もお講で何を話せばいいのか悶々としているのですが、お昼頃NHKをみておりました。強迫性障害の特集をしていました。 強迫神経症(強迫性障害)とは、簡単にいうと「わかっちゃいるけどやめられない症候群」です。自分でも不合理だと思いながら何回も繰り返すので、人にとっては大変つらい病気です。 よくみられるものは、トイレに入った後何回も手を洗う、ドアのカギをかけたかどうか、ガス栓をしめたかどうか何回も確認するというものです。来これらの行為は安全を確保するために誰でも行いますが、それが何回も何十回も確認しないと気がすまない状態になると社会的に支障をきたすことになり、何らかの治療が必要となります。 参考http://www.fuanclinic.com/byouki/vol_34c.ht

    関心のない私を見捨てることなく、如来は呼びかけ続けておられる。 - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く
  • 無碍の一道 - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く

    念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報も感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なり 歎異抄第七条 考えてみますと、私たちの人生には、どれほど多くのおびえがあり、また不安があることでしょうか。また、どんなに多くのものに縛られ、当てにならぬものを当てにしていることでしょうか。幸福を祈って神々を拝んだり、不幸につきあたってはなにかのたたりかと怖れます。そして自分に罪悪を感じたときにはその報いを恐れ、善いことをすればそれを誇ります。そのすべての底に深い怯えと不安があることを私たちは自覚すべきです。『親鸞に出会う言葉』東願寺 寺川俊昭 法事で、人間の存在が欲にまみれている、我さえよければいい私であると話したら首をかしげられたことがある。その方は、大津波の時最後までマイクで知らせ続けたような人に

    無碍の一道 - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く
  • 阿弥陀経の六鳥「舎利」 - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く

    報恩講も忘年会もクリスマス会も終わって一段落。先日楽しみにしていた『阿弥陀経講義』のが届く。バタバタしていて送金出来なかったけど、明日郵便局に行きます。 ここ二週間ほど探していたことがある。仏説阿弥陀経に描かれる浄土の六鳥、鳥の一つ「舎利」とは何だろう、ということ。何人にもたずねてみたが、誰もはっきりしなかった。 また次に、舎利弗、かの国には常に種種の奇妙雑色の鳥あり。白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命の鳥なり。このもろもろの衆鳥、昼夜六時に和雅の声を出だす。その音、五根・五力・七菩提分・八聖道分、かくのごときらの法を演暢す。その土の衆生、この声を聞き已りて、みなことごとく仏を念じ、法を念じ、僧を念ず。『仏説阿弥陀経』(聖教電子化研究会  http://www.icho.gr.jp/seiten/html/127.html より ) ネットでじっくり検索してみると、この「舎利」は「百

    阿弥陀経の六鳥「舎利」 - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く
  • 過去の記事|仏教情報出版の佛教タイムス社

  • 大丈夫が気に入らない - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く

    久しぶりに帰ってきた妹が力説した。「大丈夫」が気に入らない、というた。妹は「なんか違う」と言いながらそれ以上言葉に出来なくて、興奮していた。何があっても大丈夫、大丈夫、当にそんなことが大切か?なんでもものは考えよう、自分の考えによって、悩むのが自分、それはそうに違いないけれど、なにかはぐらかすように、「大丈夫」と、そう思うべきなのか。 それで私はもう亡くなった和田先生の言葉を思い出した。先生は大聖寺の寺に生まれて、お念仏の教えを勉強して、日夜、ありがたいありがたいと、念仏を称えた。朝起きてからずっとご飯をご飯をべているときも風呂に入っているときも、寝るときも、電車で移動する時さえ南無阿弥陀仏と念仏を申していた。とまらない!どうしたら止まるだろうとさえ思ったほどだった。 ところが戦争に行って、その念仏は止まった。喜びや感謝に溢れたその念仏は何の役にも立たなかった。 僕は、戦争の最中に、そ

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  • 寺に住む「寺族(ジゾク)」 - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く

    今日坊守会会計を引き継いだ。順番なんだそうだ。断る理由もない。実は坊守でもない。しかし、それはいいんだそうだ。そのうちFさんあたりから強烈なスカウト受けるだろう。まあそれも仕方ない。 20代のころは抵抗があった坊守会だけど、今は女同士のおしゃべりも楽しいなとも思える。寺に住むもの同士だからわかることもある。且つ婿殿たちが「寺族(ジゾク)」と揶揄するのもわからんでもない。 最近「はなれ」をリフォームした。もう90%出来ている。設計士さんがにっこり笑って「ここに、広いタイプの、こう肘でも押せば電気が付くスイッチがつくよ」といった。「ああ、私もいずれは歳をとるからね。」といったら、「何を言ってるの、お参りにきたお年寄りが押しやすいでしょ。」と彼はいった。 おそらく「はなれ」に「上がる」のは、設計士さんがイメージするお寺に参りに来るお年寄りではない。祠堂などでお斎についていただくことがあったとして

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  • 読み始めた - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く

    自ら積む功徳にとらわれて他力の信を生(しょう)ずることができない。 『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』浄土真宗願寺派願寺出版社発行 ようやく読み始めた、願寺派の『教行信証』、「浄土真宗聖典」とも書かれている。賛否両論の訳がわかった。 いつか、化身土から全部読みたいと思っていた。これなら読める。いやたぶん、ようやく読めるようになったのかもしれない。

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  • 戦争体験 - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く

    永代祠堂経法話ご満座。前にアップした、法話の原稿の一部は使われることがなかったが、大変貴重な場となった。 テレビを観ていると、「いい言葉・感動すること」をしきりに求めている気がしてなりません。たくさんの情報量のなか、「一喜一憂」という言葉があるけれど、民放は一喜一喜一喜一憂くらいの割合で、「刹那的な」(その時だけの)一度感激したらすぐ忘れるような、「一喜」を積み重ねている。積み上げたが崩れるように、いつか倒れるでしょうね。 NHKがいいとは言いませんが、民放のげらげら笑っているのの多いのに疲れることがあります。こどもの頃、おばあちゃんは玄関の横の三畳部屋の自分の部屋で時代劇を観て、じいちゃんと妹と一緒にいつもテレビを観ていて、たいがい、じいちゃんは国会や相撲やらニュースやらのNHKを観ていました。この前ふと、自分がじいちゃんみたいだなぁと、思いました。話がどうでもいいところへ行ってしまい

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  • みえぬけれどもあるんだよ、 - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く

    三日間の夏の永代祠堂経法話も今日まで。夏休みの宿題と、夏休みが終わる。 今回三日間のテーマは金子みすずの詩『ほしとたんぽぽ』。 「ほしと たんぽぽ」 あおい おそらの そこふかく、 うみの こいしの そのように、 よるが くるまで しずんでる、 ひるの おほしは めに みえぬ。 みえぬけれどもあるんだよ、 みえぬ ものでも あるんだよ。 ちって すがれた たんぽぽの、 かわらの すきに だァまって、 はるの くるまで かくれてる、 つよい その ねは めにみえぬ。 みえぬけれどもあるんだよ、 みえぬ ものでも あるんだよ。 『ほしとたんぽぽ』金子みすず絵 より 今回何を話さしてもらおうか、いつものように焦って、友人の寺報に目を通していました。40年前に先生に言われた言葉を思い出したのだという。「寺ほど、念仏に遠いところはない」という言葉。時代は「お東紛争」といわれた教団問題の真っ只中だっ

    みえぬけれどもあるんだよ、 - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く
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