さて、先日のエントリの続きです。 前回は、「東京が目指すべきは、ロンドンやニューヨークのような伝統的な国際都市」であって、「シンガポールやドバイのような、戦略的な国際都市ではない」と書きました。 しかし、そのいずれの方向を目指すとしても、国際都市を目指すなら必須となる考え方があります。それは、「世界を受け入れる」という覚悟です。 高度成長期の日本にとって、国際化とは「輸出をすること」でした。 繊維を輸出し、テレビを輸出し、自動車を輸出する。その輸出比率の高い企業が「国際的な企業である」と考えられていたのです。てか、今もそう思っている人は多そうです。 しかしながら、新卒でその企業に入った日本人の男性だけで会社を経営し、日本人社員と非日本人社員を全く別の人事制度で処遇し続ける企業について、たとえ製品の輸出比率が高くても、世界はそれを「国際的な企業だ」とは考えません。 それは単に「輸出比率の高い
2014年01月29日21:51 カテゴリ地図・GPS ららぽーとの駐車場の曲線の謎とスキー場の因縁とディズニーランドTweet ぼくが育ったのは船橋市。『工場萌え』の前書きにも書いたが(自分で言うのもなんだが、この前書きの文章はとてもよい)、父と散歩で出かけると必ず工場地域に迷い込んだもので、これがぼくの愛着ある原風景となった。 もうひとつ、いままであまり意識していなかったが忘れられない風景がある。それがショッピングモールだ。船橋の人間でいま40歳前後でショッピングモールっていったらそりゃあもう「ららぽーと」しかない。 ららぽーと船橋は1981年にオープンし、自動車でのアクセスを前提にしたショッピングモールとしては最初期のものだ。中学生の頃よく行った。甘酸っぱい思い出もたくさんある。その話はまたこんどしよう。 で、すでに30年以上の歴史を持つららぽーとには、今大人になってあらためてじっく
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