日本と韓国が国交を正常化させてから来年で60年となります。「理性」と「感情」をキーワードに、今後の日韓関係について考えます。
» デザインを模倣された米デザイナーが「東京五輪エンブレム」を考案! 佐野研二郎氏はこれにどう答えるのか? 特集 2020年の東京オリンピック公式エンブレムの問題は、一向に収束する気配がない。デザインを手がけた佐野研二郎氏は、サントリーのキャンペーン賞品に使用したデザインの一部に模倣があったことを認めた。サントリーは関連する賞品を取り下げている。 取り下げられたデザインの一部には、アメリカのデザイナー、ベン・ザリコー氏のものも含まれていた。そのザリコー氏の事務所がオリンピックのエンブレムを考案することを発表し、2015年8月17日にFacebookで公開したのである。そのデザインとは!? ・ゲームの始まりだ ザリコー氏の事務所「ザリコー・オリジナル」は、8月16日にオリンピックのエンブレムをデザインすることを発表。佐野氏に挑戦状を送った格好である。その投稿のなかで、「ゲームの始まりだ!(L
戦後70年にあたり、談話を発表する安倍晋三首相=首相官邸で2015年8月14日午後6時2分、藤井太郎撮影 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦
十六日午後九時半ごろ、東京都豊島区東池袋一のJR池袋駅近くで、乗用車が歩道に乗り上げ、交差点角にある衣料品販売店「ZARA」に突っ込んだ。歩行者五人がはねられ、板橋区成増四、薬剤師江幡淑子(としこ)さん(41)が頭を打って死亡した。ほかに、女性(27)が骨盤骨折するなど、男性(25)、三十七歳と七十一歳の女性の計四人が重軽傷を負った。 池袋署は自動車運転処罰法違反(過失傷害)の疑いで、乗用車を運転していた北区王子三、医師金子庄一郎容疑者(53)を現行犯逮捕。同法違反(過失致死傷)容疑に切り替えて調べている。同容疑者も左手首を骨折し治療を受けた。
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