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2016年9月22日のブックマーク (4件)

  • 治療困難な病気を治療可能にするための挑戦 - 中村祐輔の「これでいいのか日本の医療」

    9月19日米国FDAはデュシャンヌ型筋ジストロフィーの治療薬EXONDYS 51を承認した。全く治療法がなかった遺伝性疾患に対する初の治療薬だ(現実的には治療薬候補に等しいが)。この病気は、X染色体にあるジストロフィンという遺伝子の異常によって起こる。ジストロフィンは筋肉細胞の表面に存在しているが、これがないと徐々に筋肉細胞が死んでいくため、筋力が低下していく。筋肉細胞は大きく伸び縮みするが、その際の細胞同士が擦れ合う際の潤滑油のような役割をしているのかもしれない。 同じ遺伝子の異常によってベッカー型の筋ジストロフィーが起こる。発症時期や病気の進行速度の違いから区別されていた。両者の差は、デュシャンヌ型ではジストロフィンがなくなっているのに対して、ベッカー型では異常なジストロフィン蛋白が検出される。そして、後者の方が、病気の発症も進行も遅い。正常な蛋白でなくても、少しは機能しているのだろう

    治療困難な病気を治療可能にするための挑戦 - 中村祐輔の「これでいいのか日本の医療」
  • 「秀頼に落とされ死んだ」大坂の陣、オランダで新文書:朝日新聞デジタル

    「大坂の陣」(1614~15年)前後など江戸時代初期の様子が記された文書が、オランダ・ハーグの国立文書館で見つかった。同国ライデン大学と共同調査している国際日文化研究センター(日文研、京都市)が21日、発表した。既存の文献にない記述もあり、検証が進む可能性もありそうだ。 東インド会社の拠点だった長崎の平戸オランダ商館のオランダ人関係者らが1609~33年に作成した書簡524点や日記で、幕府高官や日の商人らから聞き取った情報などを記したという。 夏の陣で大坂城が落城した直後の15年6月11日付の報告には次の記述がある。東インド会社の商務員ワウテルセンが平戸オランダ商館長に宛てたという。「皇帝(徳川家康)、その息子および全軍は、(豊臣)秀頼の城を攻囲するために6月2日に大坂へ出発し、同月3日に到着した。秀頼の数人の大名が赦免が得られると考え、皇帝側に寝返るために城に火をつけたが、彼らは逃げ

    「秀頼に落とされ死んだ」大坂の陣、オランダで新文書:朝日新聞デジタル
  • 二輪の免許制度緩和で125ccバイクも普通免許で可能に?SNSでは否定的コメントも(1/2)|コラム【MOTA】

    現在『原付二種』と呼ばれる125ccバイクに乗ろうとすれば、普通免許と別の『小型自動二輪免許』が必要。結果として二輪車の販売は伸びない。そんなことから経産省は規制緩和を検討しているという。 具体的に書くと、例えば「原付」の概念を延長し、普通免許を持っていれば125ccバイクまで乗れるようにすることを考えているようだ。 実際、普通免許を持っているような人なら、50ccも125ccも大差ない。50ccバイクに乗れるテクニックあれば125ccだって乗れると思う。交通の流れに乗るには50ccより好ましいほど。 といった点からすれば無理もないし、むしろ今まで50ccに限定してきたのが不思議。世界規模で見ると50cc程度の動力性能のバイクは無免許で乗れるからだ。 >>大島優子が2輪免許取得宣言! ヤマハ LMW(3輪バイク)「TRICTIY(トリシティ) MW125」発表会 もっと言えば、そもそも50

    二輪の免許制度緩和で125ccバイクも普通免許で可能に?SNSでは否定的コメントも(1/2)|コラム【MOTA】
    namnchichi
    namnchichi 2016/09/22
    免許制度の見直し必要。緩める方向で良い。それで、電動アシスト付き自転車は免許要るよ。アレ放置するのは信じられない。
  • 神戸新聞NEXT|社会|戦闘機「飛燕」明石で復元 製造の川重後輩

    太平洋戦争中に川崎航空機工業(現川崎重工業)が製造した陸軍の戦闘機「飛燕(ひえん)」を、同社の有志が修復している。当時エンジンを造っていた明石工場では、二輪車の開発担当者らが主要部品の過給機を復元した。「先人がものづくりに込めた思いや工夫の跡を感じ取りたい」と地道な作業を続ける。10月15日から神戸市内で展示する。(高見雄樹) 飛燕はエンジン製造を明石、機体の組み立てを岐阜の工場が担った。ドイツのダイムラー社からライセンスを受けた一型は約3千機を生産。上空1万メートルを超える高高度での運航性能が良く、米爆撃機の迎撃や特攻にも使われた。川崎が独自設計した二型は約60機が配備されただけで、両方の型を合わせ、日航空協会(東京)が所有する二型の試作機が唯一現存していた。 機体は計器類が失われ、エンジンに圧縮空気を送って出力を上げる過給機もなくなっていた。明石工場では1年前から有志10人が勤務時間

    神戸新聞NEXT|社会|戦闘機「飛燕」明石で復元 製造の川重後輩