ブックマーク / note.com/ma_takeshita (2)

  • 倍速視聴を道徳的に擁護する|Masashi Takeshita

    上記の記事、および上記の稲田のでも示されてるように、映像作品の早送りが普及しつつある。稲田をはじめとして、こうした倍速視聴に対して嫌悪感を示す人がいる。Xで「倍速視聴 失礼」で検索すれば、数多くのそうした意見を見つけることができる。 obakewebさん(以下敬称略)は、この倍速視聴に対し、「回復可能な鑑賞」というのを提示して、擁護しようとしている。 記事ではobakewebとは異なる仕方で倍速視聴を道徳的に擁護する。私が「道徳的に擁護する」ために批判対象としているテーゼは、obakewebの記事から引用すれば、次のものである。 (12)作者に対して失礼である:作品は作者による思想の表現である。そのような表現行為における意図をないがしろにすることは、作者に対して失礼である。(前提:他人に対して失礼なことをしてはいけない) https://note.com/obakeweb/n/n156

    倍速視聴を道徳的に擁護する|Masashi Takeshita
  • 書評:岡野八代『ケアの倫理:フェミニズムの政治思想』を動物倫理の観点から読む|Masashi Takeshita

    記事は岡野八代『ケアの倫理:フェミニズムの政治思想』(以下「岡野の」)を動物倫理という特定の観点からみた書評である。ちょっと特殊な書評なので、いくつか注意点がある。 私は以下で岡野のに見られる人間中心主義を指摘する。 ケアの倫理の主流伝統には人間中心主義が前提にされており、岡野のはそれを引き継いでしまっている、と私は考えている。そのため、それを指摘することは有意義であると考える。 私が「ケアの倫理の主流伝統」で指し示しているのは、ケアの倫理の典型的・代表的な研究者としてあげられる人々とその研究である。例えばN・ノディングス、E・F・キティ、J・C・トロントなどである(例として、ノディングスの『ケアリング』における非ヒト動物に対する種差別的態度は有名だろう)。 私はケアの倫理の主流伝統における人間中心主義を別の記事で検討する予定であるが(書かないかもしれないが)、記事では岡野の

    書評:岡野八代『ケアの倫理:フェミニズムの政治思想』を動物倫理の観点から読む|Masashi Takeshita
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