最近は「どうせ私は社畜です」といったように、この言葉で自らを定義して恥じないサラリーマンが少なくないという。(中略)社畜というのはつまるところ、自分に自信をもてず、一生会社に養ってもらおうという甘えた人のことを言うのだと思う。常に自立した働き方をしている人や、そうなろうと日々自分の牙を研ぐのに余念のない人は、たとえ会社勤めであっても、断じて社畜などではない。(「『社畜』でも安心できた時代の終わり」より) 『「社長」を狙うか、「社畜」で終わるか。 思い通りの働き方を実現する経営者思考』(吉越浩一郎著、日本実業出版社)の著者は、そう断じたうえで後者、すなわち「常に自立した働き方をしている人や、そうなろうと日々自分の牙を研ぐのに余念のない人」を目指してもらいたいと記しています。そして、そのためには「社長になることを目標に設定して働くだけ」でいいとも。 では、社長を目指すとなにが変化するのでしょう