三越事件(みつこしじけん)とは、1982年(昭和57年)に発生した、老舗百貨店・三越に係わる一連の事件の総称である。 名門百貨店を舞台にした不祥事は、三越の社長解任劇に発展、世間を大いに賑わせた。 事件概要[編集] 1972年(昭和47年)、三越社長に就任した岡田茂は自身に批判的な幹部を次々と左遷し、「岡田天皇」と呼ばれる独裁体制を確立させる。以降、岡田は不明瞭な経理によって会社を私物化していった。特に、岡田のライバルと目されていた常務の坂倉芳明を追放、坂倉は堤清二の誘いで西武百貨店の副社長に就任した(坂倉はのちに社長に就任、更にその後三越に復帰して社長に就任)。 岡田はジャーナリストの恩田貢から紹介された竹久みちを愛人として寵愛、竹久は岡田の庇護のもと三越内において発言力を強め、「三越の女帝」と呼ばれるようになる。 1982年(昭和57年)、週刊朝日が4月23日号で「三越・岡田社長と女帝