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ブックマーク / jp.rbth.com (2)

  • スターリンの影武者はどうなったか

    高齢の「諸民族の指導者」の影武者を務めたのは24歳のダゲスタン人だった。そして誰からも疑われなかった。 ダゲスタンのある村出身の若き青年フェリクス・ダダエフが正式な替え玉となる以前から、スターリンには3人の影武者がいた。替え玉を見つけることは、1920年代からすでにクレムリンの警護を指揮していたニコライ・ヴラシク将軍が提案していた。警護担当者らは、スターリンには敵が多すぎ、労働者の会合に赴くのは危険だと考えたからだ。 この判断は正しかった。最初の影武者、コーカサス出身のラシドフは、彼の車列が赤の広場を通過する際に爆弾で吹き飛ばされてしまった。だがダダエフの経歴はさらにすごい。第一に、彼は55年間事実を隠し、家族にも真実を語っていなかった。第二に、彼はまだ生きている。現在なんと100歳だ。 戦死扱い ダダエフは1920年に生まれたダゲスタンの高地にあるカジ・クムフ村で生まれた。幼い頃から牧人

    スターリンの影武者はどうなったか
    naokik
    naokik 2021/01/23
  • ソ連の外食システムはどのように構築されていたか(写真特集)

    1917年の革命以前のロシアにおいて、働く人々は簡単な事を提供する堂やカフェ、あるいはホテルについている3級のレストランで事をした。利用者は独身の労働者が多く、こうした店の評判はそれほど芳しいものではなかった。一方、家族がある人々は休憩時間に家に戻り、が用意した事をとった。 当時、家の中には事をする部屋があり、堂と呼ばれた。しかし革命後、国家がブルジョアの住宅に労働者たちをコンパクトに詰め込んでいく政策を開始してからは、家にそのような部屋はほとんど残らなかった。その代わりに、工場などの職場に、労働者が事をする大きなホール、「堂」が現れたのである。 家の外で、揃って事をするというアイデアは若き国家のイデオロギーにこれ以上ないほどぴったり合致した。個別の堂というのは過去の遺産とされ、「キッチンの奴隷」となっている女性を解放し、男性と同等の自由と仕事を与えることが必要だと考

    ソ連の外食システムはどのように構築されていたか(写真特集)
    naokik
    naokik 2021/01/01
    これはこれでありだと思うが、無制限の専制と狩猟採集時代並みの停滞が引き換えでは、いくらなんでも代償が大きすぎた。食料輸入してるから化石燃料の価格変動に対して脆弱で、最終的にそれで滅んだし。
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