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ブックマーク / yamasitataihei.tumblr.com (2)

  • 差別ギャグで笑えなくなってきた

    事情はよく分からないのだが、私が子供の頃はとにかく差別はいけないことだと教えられた。 別に清掃業のことを馬鹿にしているわけでもなく、むしろごみ収集車の後ろの部分は格好良いと思っていた子供も大量にいたにも関わらず、なぜか社会見学でゴミ処理工場に連れていかれ、教師がキレ気味にゴミ処理は大切なんだ職業に貴賤なしなどと演説するのを、私たち子供と業者の人がウザそうに見ていたというようなこともあった。 あと黄色人種しかいない教室で、肌の色で差別するなだとか説教され、差別しようがねぇだろと突っ込みを入れたりもした。なんであんなことを教えてたんだか分からないのだけれども、とにかく差別は駄目だというのが流行った時代があったのだろう。 そういう時代に教育を受けたので、無条件に差別は駄目だということを、知らないうちに学んだような気がする。差別は駄目だと誰もがなんとなく知っていたため、知らない人間の差別発言は、一

    差別ギャグで笑えなくなってきた
    narukami
    narukami 2014/12/19
    「差別する側を笑うギャグを成立させるためには、正しい知識が流通し、差別的な発言をする人間は程度が低いといった認識が広がっている必要がある」
  • 下等さと文化

    的に大衆文化というのは、下等なものだ。そして下等なものには、学問的な価値はない。 これはわりとしっかりとしたルールなので、ゴチャゴチャ言ったところで仕方がない。 ただし文化の流れのようなものを解釈しようとする場合、このルールには問題点が多い。 戦争というのは下等だけど、戦争を除外して技術がどのように発展してきたのか考えることは不可能だ。 ゲームも大衆のための娯楽で下等だ。しかしゲームが存在していなければ、パーソナルコンピュータは今とは別の進化をしていたはずだ。だからゲームを抜きにして、パーソナルコンピュータの歴史を考えることもできない。 こんなことは当り前なんだけど、当り前になっていない分野もある。 例えば日の口語文というのは、娯楽を除外して解釈されているため、かなり異様な解釈をされている。どう異様なのかものすごく簡単に説明すると、かっては純文学の力で口語文が完成したと考えられていて

    下等さと文化
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