呂 尚(りょ しょう、Lü Shang)は、紀元前11世紀ごろの古代中国・周の軍師。丁公と邑姜の父、後に斉の始祖。 姓は姜、氏は呂、字は子牙[2]もしくは牙[3]、諱は尚とされる[4]。軍事長官である師の職に就いていたことから、「師尚父」とも呼ばれる[4]。諡は太公。斉太公・姜太公の名でも呼ばれる。 但しかれの名・字には諸説が有り、例えば貝塚茂樹は『詩経』大明編より、字を尚父とし、尚は「尚父」の略称だと指摘している[4]。また、小竹史記では、諡を太公、名を望、字を尚としている[5]。実際に『荀子』『韓詩外伝』『説苑』『新序』『論衡』などいくつかの文献には「呂望」と記す例が散見する[6]。また、当時の金文では「姜子牙」で現れ、呂尚、呂望などとは謂われない。 一般には太公望(たいこうぼう)という呼び名で知られ、釣りをしていた逸話から、日本ではしばしば釣り師の代名詞として使われる[7]。 歴史上
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