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イデオロギーに関するnasuhikoのブックマーク (6)

  • 宇野常寛が語る『母性のディストピア』Vol.6 失われたオタクの理想形

    これまで連載形式でお届けしてきた宇野常寛『母性のディストピア』連続インタビューもいよいよ最終回。 前回までは宮崎駿、富野由悠季、押井守という戦後日におけるアニメーションの巨匠たちの作品を振り返り、彼らが「母性」とどのように対峙したかを考えることによって、今後の現代社会のヒントを探ってきた。 最終回では、2016年に日映画史にその名を刻みつけた作品『君の名は。』と『シン・ゴジラ』の差異から、今後の10年における「魅力的な主体像」の可能性を提示する。また、宇野常寛自身が今後どのような仕事を行なっていくかについても後半部で語られている。 刊行されている『母性のディストピア』(外部リンク)を片手に、是非とも最後まで読んでほしい。 取材/インタビューテキスト:碇学 文:米村智水 『君の名は。』と『シン・ゴジラ』で描かれたもの ──『母性のディストピア』第6部になると「アトムの命題」に対する「ゴ

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  • 脳の科学と、今年のノーベル経済学賞の「意外な関係」(美馬 達哉) @gendai_biz

    ノーベル経済学賞のインパクト 2017年度のノーベル賞が先日発表された。神経内科医師としては医学生理学賞(体内時計の研究)も気になるところだ。だが今年については、診療の現場にも直結するテーマは「ノーベル経済学賞」だった。 受賞したのは米シカゴ大学のリチャード・セイラー博士。「行動経済学」の業績が評価されたのだ。行動経済学は、心理学と経済学をつなぐ融合的学問で、理論や数式だけではなく実験と観察に基づいて、現実社会での人間のふるまいを理解する新しい研究分野である。 臨床医であるとともに「神経経済学(ニューロエコノミクス)」を研究する神経科学者の端くれである私としては、この分野が注目されるのはうれしいニュースだ。 セイラー博士の業績の最重要ポイント 行動経済学と診察室がどうつながるかを説明しよう。たとえば、あなたが診察室で医師から「肺がんなので、できるだけ早い手術が必要です」と告げられたとする。

    脳の科学と、今年のノーベル経済学賞の「意外な関係」(美馬 達哉) @gendai_biz
  • 日本の反戦映画ってなんで被害者面してんの?

    「この世界の片隅に」とか 勝手に国連抜けてアメリカに奇襲仕掛けて戦争始めたのに空襲にあって大変アメリカは悪魔ですって映画ばっかりなの? どう考えても日の自業自得なのに被害者面する映画が反戦映画なのか? 国連抜けたのも満州事変で国際法に違反した挙句認められないから逆ギレして抜けたんだし、新聞や国民はそれを褒め称えてたとか救いようがない。 なんの拘束力がないハル・ノートを開戦の理由ということにしたり、日は逆ギレして被害者面ばかりだ。そもそもハル・ノート以前に真珠湾に艦隊を差し向けていたにもかかわらずだ。 戦争への反省とかいうんなら被害者面せすに反戦映画としてパールハーバーと中国の抗日ドラマでも見てろよ。

    日本の反戦映画ってなんで被害者面してんの?
  • 「性別間の生物学的な差異は存在しない、という社会学者たちの宗教」 by ジェリー・コイン  - 道徳的動物日記

    The sociological religion of no biological differences between the sexeswhyevolutionistrue.wordpress.com 昨日に引き続き、進化生物学者・無神論者のジェリー・コインのブログからまたまた記事を紹介。 「性別間の生物学的な差異は存在しない、という社会学者たちの宗教」 by ジェリー・コイン アカデミック業界にはタブーであって自由な議論を行えない二つの論点が存在する、ということを私は生物学者として学んできた。第一の論点は「人種」…または、人口間の遺伝的な差異である。文化人類学者たちは、人種は「社会的に構築された」と言う。たしかに、それぞれの人種を明確に区別することのできる有限数は存在しないのだから、その限りにおいては文化人類学者たちの主張にも真実は含まれている。しかし集団間には遺伝的な

    「性別間の生物学的な差異は存在しない、という社会学者たちの宗教」 by ジェリー・コイン  - 道徳的動物日記
    nasuhiko
    nasuhiko 2016/10/10
    生物学的本質主義による社会構築主義批判。本邦では「ジェンダー・トラブル」が邦訳された前世紀末からうんざりするほどたくさん見てきたので(攻守逆も含めて)、本稿は新たな知見を与えてくれるものではなかった。
  • 方向性見失うテレビドラマ、希望はどこに 佐藤浩市さん:朝日新聞デジタル

    ナショナリズムに訴えかけるようなドラマしか、もう残された道はないんだろうか。冗談ですが、そんなことを口にしたくなるほど、テレビドラマの現状は方向性を見失っていると思う。 若い視聴者におもねって失敗し、それならお年寄りが安心して見られるようにと医療ものと刑事ものに走った。でも、どっちに日和(ひよ)ったところで数字はとれない。悩んでないテレビマンなんて、いま一人もいないでしょう。 お茶の間に届けるテレビドラマにも、かつては映画のようなイデオロギー性をはらむ、偏った番組が放映される余地がありました。それがいつしか、どこからもクレームがつかない安全な方向を向いていく。僕のドラマでも数年前、昭和30年代の雰囲気を描こうと会議中に皆が喫煙したら、相当数のクレームが来たことがあって。その後、同様の場面は姿を消しましたね。 これだけ視聴者の裾野の広いメディアだけに、難しさはあるでしょう。でもそうやって現場

    方向性見失うテレビドラマ、希望はどこに 佐藤浩市さん:朝日新聞デジタル
  • イデオロギーは社会学の知見をいかに妨げたか by クリス・マーティン - 道徳的動物日記

    社会学者クリス・マーティンの論文「イデオロギーは社会学の知見をいかに妨げたか」の、著者人による要約である。 原文はこちら。参考文献は省略している。 How Ideology Has Hindered Sociological Insight, summarized | HeterodoxAcademy.org イデオロギーは社会学の知見をいかに妨げたか by クリス・マーティン 今年、私は社会学がイデオロギー的同質性のために直面している問題について論文を発表した。論文はアメリカン・ソシオロジスト紙でも読めるし、無料でダウンロードもできる。*1以下は、論文で私が論じたことについての要約である。 まず、人々がイデオロギーを持つのは、人々がそれぞれに特定の種類の道徳的危害に懸念を抱いているからである。 「イデオロギー」という言葉の完全な定義は存在しないものの、イデオロギーの典型とは、特定の価値

    イデオロギーは社会学の知見をいかに妨げたか by クリス・マーティン - 道徳的動物日記
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