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ギャンブルと増田に関するnasuhikoのブックマーク (3)

  • 惨めな話

    私ね、ギャンブル依存症なんですよ、多分。スロットが好きなの。 止めようと思ってもなかなか止められなくて、口座がすっからかんになるまで手を出してしまうわけです。 すっからかんってのは当にすっからかんの話で、スロットっていうのはひと勝負1000円からなんですが(実際には1000円じゃ何もできないけど)この1000円も残らない状態のことを指します。 んで、口座がすっからかんになってしまったらどうするのか?これがまた惨めな話な訳です。 まず、クレカの限度額いっぱいまでキャッシングします。これも空になったらどうするか? 次は手元の小銭でスクラッチくじを買います。これで5000円くらい、せめて1000円でも当たらないかやってみるわけです。 でも、そんなの当たらないでしょう?当たりませんよ。 だけど、小銭も全部スクラッチくじに変えてしまって、手元には200円も残らないわけです。 幸いな話、私の場合は

    惨めな話
  • おれはリバタリアンだけどそういう息苦しい社会は持続可能ではないと思う..

    おれはリバタリアンだけどそういう息苦しい社会は持続可能ではないと思う。 増田が挙げているのは自己責任論というより、自分のもつ特定の思想に反した振る舞いをする人間を罵倒するお墨付きが与えられる社会って感じだ。 当の自由主義社会は、どんな行いも基的に(迷惑を掛けない限り)許容され、 それによるどんな類の失敗であっても、ある程度社会がフェイルセーフしようとすることが肯定される社会だ。 増田のと真逆なんだよ。増田モデルは全体主義やファシズムに近い。 そして、自己責任論と結びつけられやすいリバタリアニズムだけれども、 非リバタリアンが想像するリバタリアンは「個人は自分のやることを理性的に判断して行動できる合理的個人である」 と主張して暗に「賢くなれ、さもなきゃ死んで当然」と言わんばかりのマッチョだと捉えられがち。 でもリバタリアンと言われる人の多くはそんなに凝り固まっていない。賢くなることは重要

    おれはリバタリアンだけどそういう息苦しい社会は持続可能ではないと思う..
  • 統合リゾート(カジノ)は、妻子同伴で行動する欧米上流文化が大前提

    人にイマイチ「統合リゾート」が理解されないのは、例えばビジネスマンや研究者などが海外出張する際に、 「や子供が出張に同行する文化が全くない」からだと思う。 欧米では、例えば研究者が他国の国際会議に参加する時などは、パートナー(同棲相手。場合によっては同性)を連れて行く。 で、連れて来たパートナーは、会議後のレセプションパーティーに参加したりする。その為に連れて行く。 しかし、会議そのものは、研究者しか参加出来ないし、パートナーは会議の間は「ヒマ」。 だから、パートナーのヒマ潰しアイテムとして、アミューズメント施設、つまりカジノが必要になってくる イギリスの競馬場などは紳士淑女の社交場で、パートナー必須。 一方日の競馬場は、オッサン一人。夫婦とかカップルはほとんどいない。 日人はカジノと聞くと「日のすさんだ競馬場」をイメージするが、世界的には「社交場」。 そもそもイメージ面で

    統合リゾート(カジノ)は、妻子同伴で行動する欧米上流文化が大前提
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