先日、母の幼馴染の兄上で業務上の大切な取引相手でもあり自分にとっても数少ない尊敬できる人生の先輩だった伯父の様な方が93歳で旅立ち、お別れをした。 大戦中の海軍時代から造船設計研究技術者として日本の海運造船界に貢献し、軍艦から商船の設計に携わり日本初の原子力研究船建造計画にも委員として参加した。 また造船会社の顔として世界各国に赴任して来られた知識と欧米人的なユーモアに溢れ笑顔を絶やさぬ紳士で幾つになっても頭が柔軟な工学博士であった。 氏の軍歴は東京帝國大学工学部船舶科を卒業した後、帝國海軍に奉職。 海を渡り中国へ、占領下の青島 海軍特別根拠地で海軍士官としての訓練を受けて帰国。 その後、呉海軍工廠勤務、東京目黒の海軍技術研究所配属、佐世保海軍工廠に転勤。 伊号潜水艦や水上艦艇の設計や建造に携わり海軍技術大尉で終戦を迎える。 伯父さんとの年齢は、かなり離れてはいたが、自分も元船員で祖父も海
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