2014年07月08日17:21 カテゴリ科学/文化 「ゼロリスク」を叫んでも社会は変わらない 今夜の言論アリーナでは、中西準子氏(産業技術総合研究所フェロー)の話を聞いた。メインテーマは除染で、彼女の提案している5mSv/年という基準をめぐる科学的な議論だが、それは放送を聞いてもらうとして、印象に残ったのは日本の反公害運動の元祖としての思い出話だった。中西氏が宇井純氏などともに、日本で最初の反公害運動を立ち上げたのは1970年ごろである。そのころは水俣病やイタイイタイ病など大規模な公害問題が発生し、これに反対する運動がちょうど同じころ盛んになった学生運動と合流して盛り上がった。中西氏の専門は下水道だったが、工場廃水を大量に排出する流域下水道に反対した。 彼女も最初は「汚染をゼロにすべきだと考えた」というが、下水道を小規模にしても汚染は残る。それをゼロにするには、工場の操業をやめるしかない