コミュニケーションが生まれるツイートまとめツール
すでに旧聞になると思う。というか、そうなるのを待っていた面もあるし、考えていたらそうなってしまったという面もある。話題は、れいの、と言ってもいいだろう、「保育園落ちた 日本死ね!」ということだが、私が気になっていたのは、「日本死ね」という表現だった。そう言うべきだったのだろうか? 言葉狩りがしたいわけではないが、これが仮に「中国死ね」や「韓国死ね」という表現であったら、ヘイトスピーチになるのではないか。なのになぜ、「日本死ね」ならそういう問題にならないのだろうかと疑問に思ったのである。 おそらく日本人なら「日本死ね」と言ってよいという暗黙の前提があるのではないだろうか。だとすればそこで疑問が続く、日本人なら「日本死ね」と言ってよいのだろうか? あるいは、日本人なら「日本死ね」と言えるという特権のような意識があるとすれば、それは何に由来するのだろう? その特権を支える正義はなんなのだろう?
記者「じゃあ、生徒が嘘をついているということですか?」 吉田「……だから……その、言葉を発した人間と、私……それを聞いた生徒……まあ、私は生徒に言うてるつもりはないんですけどね」 吉田「誰が言うてます?名前、名前……」 記者「さっきからそれ言いますけど、50人以上の人間が「一回戦で負けろ」と言ってるのを聞いている」 吉田「私は……私はちょっとそれはオーバーな話かなと思いますけどね」 http://digital.asahi.com/sp/articles/ASJ305SDKJ30PTJB01F.html?rm=586 (会見冒頭で吉田県議が説明) 一部報道機関で私が「1回戦負けをしろ」という風な発言したと報道されました。事実と異なります。 私は「こんなことをしていたら1回戦で負けるぞ」と言いました。 こんなことというのは、バスを駐車してはいけないところに止めてあるという意味です。 当
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