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  • 見捨てられた日本人:半藤一利「ソ連が満州に侵攻した夏」 - 壺 齋 閑 話

    半藤一利さんの著書「ソ連が満州に侵攻した夏」は、1945年8月9日にソ連が対日参戦して以降日側が蒙った損害について概括的に記録している。半藤さんによれば、8月9日以降の僅かの期間に日軍が蒙った戦死者の数は、ソ連情報局の特別声明をもとに約8万人と推定される。たった一週間でこれだけの人間が殺されたのだ。 この他ソ連は日人を強制連行してソ連各地の収容所に送り、強制労働に従事させた。厚生省の調査によれば、将兵56万2800人、官吏、警察官、技術者など1万1700人がシベリアに送られ、そのうち日に戻れたのは47万2142人、さしひき10万人がソ連で無念の死をとげたことになる。 以上は主として軍関係の被害の概要だが、民間人の蒙った被害も甚大だった。ソ連参戦当時満州には約150万人の民間人がいたといわれるが、そのうち無事日に帰国できたのは、約105万人である。残りの45万人にどういう運命が待ち

    ncc1701
    ncc1701 2015/02/15
    やっぱりソ連の非道と関東軍の無責任はセットで語らないと。
  • 津波火災:海が燃える - 壺 齋 閑 話

    3.11に東北沿岸を襲った巨大津波は、街々を嘗め尽くした後に、甚大な規模の火災を引き起こしていた。人々は、激震と津波を相次いで経験し、やっと生き延びたかと思った矢先に、広がる火災の炎に包まれ、それで命を落とした人も多かった。あまり知られることのなかった、この津波火災というべき現象について、NHKスペシャルが光を当てていた。(巨大津波 知られざる脅威) NHKの調べによると、津波の去った後に火災が生じた場所は130地点の多さに上る。何らかの原因で瓦礫に引火し、それがあっという間に広がる。海上で生じた火災も多く、海が燃えたところもある。気仙沼の場合、狭い入江状になった湾の全体が、火に包まれた。 番組は気仙沼で津波火災に遭遇し、万死に一生を得た人たちの恐怖の体験を紹介していた。岡崎さん夫は自宅の中にいて津波に遭遇し、必死になって生き残ったところを、火の海に囲まれた。一時はあきらめかけて、奥さん

    ncc1701
    ncc1701 2011/11/04
    大都市圏なら津波をやりすごせる大型建築物は多いけど、津波火災を考えると決して安心できない。今回の地震ではなかった地下鉄や地下街の水地獄もあるだろうし。
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