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猫猫先生に関するneaniasのブックマーク (23)

  • 黒古一夫の村上春樹論 - jun-jun1965の日記

    私は『反=文藝評論』に徹底的村上春樹批判論を載せた時、黒古一夫による春樹論を見落としていたらしい。あの時はかなり網羅的に春樹論を見たはずなので、不明を恥じる。黒古には三冊の「村上春樹」を表題に含む著書があるが、うち一冊は私のあとで出たものである。また『村上春樹と同時代の文学』は、1990年のものだが、実際に春樹に触れているのは、『TVピープル』の時評めいた一文だけで、しかも最新の『村上春樹 「喪失」と「転換」の物語』は、第一部が『村上春樹 ザ・ロスト・ワールド』と同じなので、事実上黒古の春樹論は一冊しかないと言ってもいい。 つまらぬことから書くと、黒古は、『風の歌を聴け』を春樹の「デヴュー作」と書いている。古い文章から最新のまで「デヴュー」である。教養のないライターや佐藤亜紀などがよくこういう間違いをしでかすが、六十を過ぎてなお、「デヴュー」を英語のdeviewか何かだと思っているのだろ

    黒古一夫の村上春樹論 - jun-jun1965の日記
  • 全共闘世代のバカ左翼・黒古一夫 - jun-jun1965の日記

    別に「全共闘世代」といわれる世代がみなバカなわけではないのだが、「全共闘世代的意識」なるものが実に愚劣な日文化のクズであることはもはや言うまでもない。 http://blog.goo.ne.jp/kuroko503/m/200808 これは黒古一夫という筑波大学教授(元は図書館情報大学教授、統合により筑波大教授)だが、まさにそのようなクズの一人である。栗原さんはもちろん、問題になった作品をみな読んで書いている。『黒い雨』について自分が書いたものが参照されなかったのが不満なようで、それはお気の毒というしかないが、この書き方ではまるで栗原さんが豊田清史の肩でも持っているようである。栗原さんは豊田と相馬正一の論争を紹介しつつ、できるだけ客観的に記述しているのだ。だいいち、『重松日記』が公刊された2001年以後は、誰もがこれと『黒い雨』を比較して自分で判断できるようになっているのだから、黒古がガ

    全共闘世代のバカ左翼・黒古一夫 - jun-jun1965の日記
  • 読んだけどつまらなかったよ - jun-jun1965の日記

    ちょいと前の日経新聞で佐々木敦とかいう人が、今の小説はダメだと言う人がいるが、読まずに言うのはおかしい、と言っていたのだが(ただし取材記事)、うーん具体的にどこのどなたさんが、読まずにそういうことを言っているのか、ちと教えて欲しいのであるが、別に私は今の小説がダメだとは言っていないし読んでもいるのだが、これは佐々木なるお方が推奨する古川日出男とかを読まねばならんのだろうと思って読み始めたが、三島賞受賞作は実につまらなかった。この人は通俗作家らしいので、そっちの代表作らしいアラビアなんとかの「大仰文体」に、またかとうんざりさせられた。 「大仰文体」は擬古典的なところもあるので、起源を探れば、中世の軍記物語や浄瑠璃にまで遡るし、歴史小説や大河ドラマ、ファンタジーやSFにも淵源するだろうが、私がはっきり最近の大仰文体の始祖と思えるのは、富野喜幸(由悠季)で、1979年のノベライゼーション『機動戦

    読んだけどつまらなかったよ - jun-jun1965の日記
    neanias
    neanias 2008/09/05
    「いちばん面白かったのは『涼宮ハルヒの憂鬱』かな。ただあれは二度は読めないだろう。」涼宮ハルヒを猫猫先生がそこそこ評価!!
  • ■ - jun-jun1965の日記

    現在発売中の『サピオ』で、小林よしのりが遂に佐藤優批判を始めている。『サピオ』には佐藤も連載しているから、そこで佐藤批判ができるのも小林ならではだなあ。 さて、批判されても逃げまくり、小林言うところの「無名の文藝評論家」に、代わりに相手への罵詈雑言を投げつけさせる佐藤は、小林の挑戦に応じるのか、それともまた「無名の文藝評論家」に任せて逃亡するのか!? 西郷隆盛はこんな卑怯な男ではなかったよなあ。 - 浄瑠璃の三大名作とされる『菅原伝授手習鑑』『仮名手忠臣蔵』『義経千桜』の作者を、竹田出雲・並木千柳・三好松洛と覚えている人が多く、高校などでもそう教える教師がいるようなのだが、『菅原』は初代出雲、残り二つは二代目出雲である。まあ出雲は今でいえば総指揮のようなもので、実際に書いたのは後の宗輔、並木千柳だが、橋治も間違えていたので、気をつけるように。

    ■ - jun-jun1965の日記
    neanias
    neanias 2008/08/07
    「小林言うところの「無名の文藝評論家」」
  • 栗原裕一郎氏の盗作疑惑 - jun-jun1965の日記

    栗原裕一郎氏初の単著『<盗作>の文学史』(新曜社)の帯に、大きく「ん?」とあるのが、斎藤美奈子氏の『妊娠小説』(筑摩書房、1994)の帯のパクリではないかと、複数の読者から指摘があり、話し合った結果、帯は著者の作品ではなく営業部の作品であるということで一致したが、「ん?」という二文字に著作権があるかどうか、疑問であるということで両社顧問弁護士が話し合ったが結論が出ず、識者の意見を聞いたところ、「ん?」は、1992年に太田出版から刊行された渡部直己『<電通>文学にまみれて』で、高橋康也「法螺侍」を評して渡部氏が使った表現ではないかとの指摘があり、渡部氏に問い合わせたところ、著作権を主張する気はないとのことで、一件落着し、関係者一同胸を撫で下ろした。 というのは嘘だが、それはともかく、これはすばらしいである。 (付記)長谷邦夫氏から、「ん?」は谷岡ヤスジではないかとの指摘をいただきました。ま

    栗原裕一郎氏の盗作疑惑 - jun-jun1965の日記
  • そうだったのか - jun-jun1965の日記

    宮下整の『戦前の少年犯罪』の大仰な物言いが、勢古浩爾さんの新著で批判されているのを見たが、勢古さんも、その少年犯罪の実態は知らなかったらしい。もちろん私だって知っていたわけではないが、そんなもんだろう、と思っただけだった。濱浩の「十二階下の子供たち」や里見紝『多情仏心』に出てくる不良少年少女を見たって、そんなものだろうと思うし、歴史にせよ文学にせよ、日近代を専攻して新聞などを見ている人には、さして驚くべき話ではない。 ところが、高島俊男先生が、向田邦子が描いているような家庭はエリート家庭だった、と指摘していると知って、たまげた。そんなことは常識だと思っていたからで、なに? あれを「普通の家庭」だと思っている人が、まあ若者とか、歴史を知らない低学歴者はいざ知らず、そんな人がいるのか? と思ったからである。 すると、さらに不安になってくるのだが、戦後の小津安二郎が描いたような家庭も、当時の

    そうだったのか - jun-jun1965の日記
    neanias
    neanias 2008/04/26
    高校生くらいまでは普通の家だと思ってたよ…。エリートかはともかく都市部のある一定以上の階層の人を描いてるのは確か。
  • 乙○君に告ぐ - 猫を償うに猫をもってせよ(タイトル荒らしは止めてください)

    乙〇知〇君より、私がプライヴァシーの侵害をしているという申し立てがあったと、はてなから連絡があった。 乙〇君は、荻上チキは筆名だという。しかし、筆名というのは作家が用いるもので、かつおおよそはその実名もまた世間には知れている。岸葉子も筆名だが、その名は『現代日執筆者大事典』にちゃんと載っている。覆面作家というものがあって、初期のエラリー・クイーン、北村薫などがいるが、彼らは推理小説を書いたのであって、何らかの議論を行ったわけではない。江藤淳や柄谷行人でも、調べれば実名は分かるし、隠してはいない。筆名で活動しているからといって、その名を堅く隠蔽しようとし、明かされたからといって被害を訴えたなどという前例がないのである。 戦後の学者でいえば、見田宗介が真木悠介という筆名を使ったが、ほかにはあまり見当たらないし、見田も、隠していたのかどうか疑問である。学者が変名を使ってポルノ小説を書くと

    乙○君に告ぐ - 猫を償うに猫をもってせよ(タイトル荒らしは止めてください)
    neanias
    neanias 2007/12/29
    香山リカの本名はいつ頃から知られるようになったのだろう?宮崎哲弥の戸籍名は奥さんの方だっていうけど知らない。宮崎学も確か戸籍名は違うし左翼元活動家系評論家では筆名かつ本名非公開は結構いる気がする。/松
  • 井上靖的あり方 - jun-jun1965の日記

    幸を美人じゃないと前に書いたが、撤回する。何か独特の気高さと、マゾの気のある人間には堪えられない冷たさが出ている。まああれで現代ドラマに出るとどうなるのか、分からないが。 さて原作は井上靖である。玄人筋の評価は低い。しかし、死後もちゃんと読まれ続けている。一般に、玄人筋では、井上は、初期の「猟銃」なんかは良かったが、大岡昇平による「蒼き狼」批判以降、その歴史小説は「ダメ」だということになっていて、晩年の『孔子』なんか、野間文芸賞はとっているが、褒める人がほとんどいない。 しかし、『孔子』はともかく、井上は、河野多恵子がいう「広義の才能」に多分に恵まれた人だったのではないかと思われる。『しろばんば』などの自伝的作品はうまいし、歴史小説でも、「風濤」「楼蘭」「敦煌」「淀どの日記」など、妙に短い。吉川英治、海音寺潮五郎、司馬遼太郎の作品が、時には十巻を超えることもあるのに比べたら、みな一冊で

    井上靖的あり方 - jun-jun1965の日記
    neanias
    neanias 2007/09/22
    「井上靖的な小説家のあり方というのは、存外侮れないのではないかと思う。これは後日詳しく考えよう」この視点は新鮮。是非詳しく展開してほしい。
  • なぜ片仮名書きする? - jun-jun1965の日記

    前から気になっていたのだが、なぜ「モテない」と片仮名書きするのだろう。私は片仮名書きしたことはない。なっていたとしたら、文責・取材者である。どうも片仮名書きだと、嘲弄しているような、頭が悪いような印象を受ける。 さて、渡部伸の『中年童貞』を買った。私のが八冊も参考文献にあがっていて、ありがたいことである。ヨコタ村上のもあるが。 著者の言っていることの根幹、つまり恋愛は誰にでもできるものではない、というのは私と同じだ。もっとも、それを「資主義」に結びつけるのは、どうか。もう少しロマンティック・ラブ・イデオロギーの構成要素は複雑だと思う。民主主義とか平等思想とか、「愛のないセックスはいけない」思想とか。 ところでこのには、著者の学歴が書いていない。大卒であることは文中の記述から分かるのだが、大学名がない。もしかすると「渡部伸」というのは筆名で、半分匿名の方なのだろうか。もう一つ、奥付には

    なぜ片仮名書きする? - jun-jun1965の日記
    neanias
    neanias 2007/07/04
    指摘はよくわかるが、なんとなく釈然としないのは猫猫先生結婚報道に接したせいなのか?
  • 小谷野敦さんは宮台真司に勝った。 - 荻上式BLOG

    他山の石書評雑記(フリーライター小林拓矢のブログ) - おめでとう小谷野敦さん 他山の石書評雑記(フリーライター小林拓矢のブログ) - 小谷野敦夫人は眼鏡美人 小谷野敦さんがご結婚された。上ブログでそのことを知り、『婦人公論』や『週刊新潮』を確かめてみると、たしかに「結婚」の文字が。日付欄のどこにも4月1日と書いていなかった。おお、これは釣りではないのだ。小谷野さんおめでとうございます! 半年前に小谷野さんは私は宮台真司に負けたというエントリーを書いていたけれど、 二十歳年下の東大名誉教授の娘と結婚して子供まで作ったという、人生上の幸福(少なくとも他からはそう見える)において、私は宮台に負けた。宮台の結婚は45の時だったが、私が45までに、二十歳年下のお嬢さんはおろか、結婚して子供をこしらえるなどということができる可能性は極めて低い。 そういう意味で、負けたのである。何も結婚して子供作るば

    小谷野敦さんは宮台真司に勝った。 - 荻上式BLOG
  • 小谷野敦と毒蛇(2) - そいとごえすの退避ブログ

    今山崎行太郎はid:dokuhebinikiとid:yamazakikotaroの2アカウントを使って(といっても片方は単なるコピペだが)小谷野敦(id:jun-jun1965)に悪罵を浴びせしきりに挑発している。……のだが。今回もまた華麗にスルーされることであろう。前回同様に。 山崎の文章はあいかわらず下品でひどいものだが、読みようによっては大変面白い。以下引用してお楽しみポイントをメモしておく(太字は引用者による)。 小谷野敦って、顔に似つかわしく、卑怯な奴らしく、もう形勢不利と見て、さつさと、逃げるつもりらしい。あれだけの啖呵を切っておいて、そそくさと逃げるなんて、やはり茨城あたりの百姓のセガレらしい振る舞いである。 というわけで、小谷野が、2、3年前、「評論家入門」という駄で、オレ様(山崎行太郎)を批判・罵倒した文章をこれから、「2ちゃんねる」の過去ログあたりから(笑)、持ち出し

    小谷野敦と毒蛇(2) - そいとごえすの退避ブログ
  • 小谷野敦は、単純素朴な実証主義者だね。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    ブログ・ランキングに参加中!!!→… 昨日書いた佐藤優の「アエラ」大鹿記者への公開状をめぐる問題だが、以下に引用するのは、小谷野敦がブログに書いた佐藤批判である。小谷野の佐藤批判は、当たっているものもないわけではないが、まったくピントハズレとしか見えないものがほとんどだ。小谷野批判が当たっている部分は、「正閨」という言葉の意味の部分である。確かに、小谷野が言うごとく佐藤は、「正閨」を「正統」と理解し解釈しているようだ。この点に関しては小谷野主張が正しいだろう。しかし、他の部分は、小谷野という批評家・研究者の知的レベルがどんなものかを象徴していると言ってよい。小谷野敦という人は、「二+三 = 五」という思考しか出来ない人であることがわかる。いわゆる素朴実在論的な実証主義者というわけである。それが、小谷野得意のキイーワード「論理の飛躍」という言葉である。小谷野的に言えば、独創的な発想や思考は、

    小谷野敦は、単純素朴な実証主義者だね。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
  • 文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』 - 佐藤優からの「大鹿靖明『AERA』記者への公開質問状」

    ブログ・ランキングに参加中!!!→… 先日、「日刊・ベリタ」というインターネット新聞の若い記者で、その数日前、「月刊日」創刊10周年記念パーティの席で名刺交換したばかりのS君から、メールで「佐藤優」に関する取材申し込みがあったので、喜んで引き受けることにした。佐藤優は、最近の評論家、ジャーナリストの中で、僕が早くから高く評価し、注目している物書きだし、しかもつい最近、大宅ノンフィクション賞を受賞したり、あるいは「アエラ」の「佐藤優特集ー佐藤優という罠ー」記事をめぐって、「アエラ」の大鹿記者と一悶着を起こしているらしいとも聞いているので、僕としても、ここらあたりで、僕なりの「佐藤優論」を展開したいものだと思っている矢先だったので、「待ってました!」とばかりに、簡単に取材を引き受けたわけなのだ。善は急げ、というわけですぐに日程を確定し、しかも取材当日は、S君が、わざわざ小生の自宅近くまで来て

    文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』 - 佐藤優からの「大鹿靖明『AERA』記者への公開質問状」
  • ■ - jun-jun1965の日記

    http://d.hatena.ne.jp/kuzan/20070513/1179060253 今ごろになって「稲生物怪録」が「ぶっかい」か「もののけ」かでこの辺で議論になっている。別にこんなことで熱くなったり慌てたりする必要はないので、ちゃんと議論すればよろしい。 さて、『国書総目録』には「ぶっかいろく」とあるが、確かに『国書』は、毎ページに間違いがあると言われているから、これを信用できないとするのも一つの立場である。田中貴子『鏡花と怪異』240pに「物怪」が「もののけ」と読めないことはすでに森正人の指摘がある、とあるのだが、ここに注も、森論文のありかも示されていない。巻末の参考文献表にもない。これは困る。読者に、国文学論文データベースかCiniiで検索しろと言うのか。恐らく熊大学『国語国文学』に載っているものだろうが、これは中古・中世の「物怪」についてのものだから、近世には適用できな

    ■ - jun-jun1965の日記
    neanias
    neanias 2007/05/21
    島田雅彦と川村湊
  • 渡部直己との対談 - jun-jun1965の日記

    『サイゾー』六月号であるが、誌面に出なかったものもあるし、人の感想です。 まず、「タブー」に関する特集なので、天皇については他でやるだろうと思ったのだが、渡部氏はどうも天皇ものを取り上げすぎだった。(やはり他にあった)。私としては、今現在の文壇のタブー作家の話を主にしたかったのだが、渡部氏は昔の話が多く、大江健三郎や石原慎太郎がタブーだと言うのだが、大江タブーはノーベル賞をとった13年も前のことで、まあ数年前にも『週刊朝日』「蝿」事件はあったとはいえ、小林秀雄賞をとった荒川洋治のでもずいぶん悪く書かれているし、石原のほうは、リベラル系メディアでは相当悪く書かれていて、タブーではないだろうと思った。これは誌面に出ている。 あと村上春樹の悪口は当然ながら、宮輝、高樹のぶ子が純文学作家として振舞っていることにも疑問を呈したのだが、これは載らず。宮輝は、選考委員としての悪口はずいぶん言われ

    渡部直己との対談 - jun-jun1965の日記
  • 2007-05-18

    ■「月刊サイゾー」にコメントで登場・・・。 ランキング政治)に参加中!!!→… ■「月刊サイゾー」にコメントで登場・・・。 先日、「月刊サイゾー」(特集「日の裏側が見える! タブー破りの100冊」)の取材を受けたのだが、どういう雑誌で、全体がどういう企画なのかもよくわからないままだったので、雑誌が出来上がるのが少し心配だつたが、出来あがった雑誌が送られてきたので、開いてみると意外にまともな硬派系雑誌で、気骨のある編集姿勢とともにそのかなり過激な内容に好感を持った。「噂の真相」の後釜でもねらっているのだろうか。それなら大いにやってもらいたい。さて、僕が登場するのは、文壇のタブーとしての言論弾圧に関する下りで、戦時中の言論弾圧について語った、ごく短いコメントだけだが、文壇関係記事のメインはと見てみると、小谷野敦と渡部直己の対談「日文学はすでに死に体なのか!?」になっている。文壇には言論

    2007-05-18
    neanias
    neanias 2007/05/21
    想定の範囲内というか、サイゾー編集部はあとで揉め事が起きるのを狙ってこの構成にしたのか?
  • 小谷野敦の「なんとなく、リベラル」(「文学界」)を読む。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    ■無能な大学教授や女性研究者が、何故、蔓延るのか。 車谷長吉が「文学の基」(「新潮」2月号)というエッセイで、まさしく文学の基問題について、例によって過激なことを書いている。とは言っても、これは慶応大学での講義録(「詩学」)のまとめを再録したもののようだが、そこで車谷長吉が質的な議論を展開しているが、中でも、文学の世界に、「頭の悪い人」や「頭のいい人」や「頭の強い人」…がいるという議論には感服した。車谷長吉は、「頭の強い人」が一番文学に向いていると言いながら、「頭のいい人」の部類に入る作家たちを、たとえば大学教授とか大学助教授という社会的な身分を確保しつつ小説や批評を要領よく書いて、文壇を闊歩しているような軽薄な作家や批評家たちを、「傷つくことを恐れる」小心者たちだ、とこき下ろしている。文学者は、そうであってはならないだろう、と。むろん、私は車谷長吉の主張に全面的に賛成する。と同時に

    小谷野敦の「なんとなく、リベラル」(「文学界」)を読む。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
    neanias
    neanias 2007/01/24
    ←久々にこのタグ使った
  • 猫を償うに猫をもってせよ

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    neanias
    neanias 2006/10/19
    満へぇ。
  • 猫を償うに猫をもってせよ

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  • 西尾幹二への疑問 - jun-jun1965の日記

    八木秀次と西尾幹二が骨肉の争いをしている。今月の「諸君!」で西尾が八木を非難しているが、そこで、八木には天皇崇敬の念が足りない、新しい歴史教科書をつくる会の会長にふさわしいとは思えないと書いている。かくして遂に西尾は、「自由主義史観」なるものが、自由主義などではなく、皇国史観ないし天皇崇拝史観であることを明らかにした。なぜ日では、天皇を崇拝せずにナショナリストであることができないのか。 さて、そのこととは別に、私は近年の西尾の文業におかしなものを感じずにいられない。たとえば新しい歴史教科書編纂に加わっていた歴史学者・坂多加雄が死んだとき、西尾は「愛国と靖國--追悼・坂多加雄」(『諸君!』2003.1)という追悼文を書いた。そこで西尾は、末期がんだと知らされた坂ががっくりと意欲を失い、恐怖の発作で夜中に外へ飛び出し、夫人が懸命にとりおさえた、というようなことを書いた。そういうことは、

    西尾幹二への疑問 - jun-jun1965の日記