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ブックマーク / shirobito.jp (1)

  • お城の現場より~発掘・復元・整備の最前線 第34回【岐阜城】発掘調査で判明した信長の石垣と道三の一ノ門

    城郭の発掘・整備の最新情報をお届けする「お城の現場より〜発掘・復元・整備の最前線」。第34回は、織田信長が斎藤龍興から奪い、天下統一の拠点とした岐阜城(岐阜県岐阜市)。調査で明らかになった信長時代の城の姿や道三時代の遺構について岐阜市ぎふ魅力づくり推進部文化財保護課の森村知幸さんが紹介します。 岐阜城は岐阜県岐阜市の中央部に位置する標高329mの金華山(稲葉山)に築かれた山城である。天文8年(1539)頃、斎藤道三は稲葉山に城を築き、麓に城下町を整備したと伝えられている。永禄10年(1567)、織田信長は稲葉山城を占領し、城主の龍興(道三の孫)を追放した。この時、城と町の名を「岐阜」に改めたとされる。天正3年(1575)、信長の息子の織田信忠に家督が譲られるが、能寺の変以降は5人の城主が次々に入れ替わる。織田秀信(信長の孫)が城主であった慶長5年(1600)に関ヶ原合戦の前哨戦が起こり、

    お城の現場より~発掘・復元・整備の最前線 第34回【岐阜城】発掘調査で判明した信長の石垣と道三の一ノ門
    neco22b
    neco22b 2024/06/19
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