ブックマーク / call-of-history.com (5)

  • 「お前らジャンヌ・ダルクと一緒にいてムラムラしないの?」と聞いてみた結果

    「尊い・・・」ってなる、という記録が実際残されている。 記録を残しているのはゴベール・ティボーという準騎士で1429年三月二十二日、神学者のピエール・ド・ヴェルサイユの共としてジャンヌ・ダルクと面会したことがある人物である。彼はのちに兵士たちに率直に尋ねてみたのだそうだ。「お前らジャンヌ・ラ・ピュセルと一緒にいてムラムラしないの?」と。そしてそのやり取りを以下の通り書き残した。 「軍隊においては、彼女はいつも兵士たちと行動を共にしていた。ジャンヌと親しかった者の多くから直接聞いたことだが、彼女に対して彼らが肉欲を感じることは金輪際なかったという。それはどういうことかというと、彼らが彼女に欲情を抱くことはままあったにせよ、どうしてもそれ以上の挙に出ることはできなかったので、彼らは彼女を欲望の対象にすることは不可能だと信じこむようになっていた。仲間同士で、肉欲を満たし、快楽を刺激するような話を

    「お前らジャンヌ・ダルクと一緒にいてムラムラしないの?」と聞いてみた結果
  • 「幕末外交と開国」加藤 祐三 著

    黒船来航から日米和親条約に至るプロセスを「(1)無能な幕府が(2)強大なアメリカの軍事的圧力に屈し、(3)極端な不平等条約を結んだ」(P257)と理解する見方が強まったのは明治十年以降だという。明治政府は一連の条約改正を政治課題に掲げて前政権である幕府の無能無策を強く主張するキャンペーンを張り、これが通説として長く信じられるようになった。しかし、史料を丹念に追うと、このような幕府無能説、軍事的圧力説、日米和親条約の不平等条約説はどうにも当てはまらない。では黒船来航はどのような過程をたどったのかをコンパクトかつ丁寧に解説したのが書である。 まず、黒船来航は幕府にとって青天の霹靂、であったとはとても言えない。前々から幕府は周到な準備を行っていた。まず、前提としてアヘン戦争を契機に海軍をもたないことから諸外国より劣勢にあるという認識の下で、外国船に対し強硬に武力で追い払うとしていた文政令(18

    「幕末外交と開国」加藤 祐三 著
  • 幕府代表とペリー艦隊の飲みニケーション全5回まとめ

    先日の記事「「居酒屋の誕生: 江戸の呑みだおれ文化」飯野 亮一 著」にいくつか、ペリー艦隊来航時の日人代表も泥酔していたことを思い出した、といった趣旨のコメントがついていて、そうそうあの酔っぱらいエピソードも面白いんだよね、ということで幕府代表団とペリー艦隊との飲みニケーションエピソードを「ペリー艦隊日遠征記(上)(下)」から紹介しよう。酒を飲むことでのコミュニケーションが相互理解と親睦、異文化交流に大いに役立ち、日米和親条約締結に大きな影響を及ぼしたのだ。両者の酒宴はあわせて五回あった。 1853年7月12日1853年7月8日、ペリー艦隊は浦賀沖に姿をあらわし、米フィルモア大統領から将軍に宛てた親書の受け取りを求めた。これに対し日側は、かねてから黒船来航の情報を元に準備していた通り浦賀での受け取りを拒否、長崎への移動を求めるが、ペリーはこれを拒否して、現在地浦賀での授受を求めた。そ

    幕府代表とペリー艦隊の飲みニケーション全5回まとめ
  • 「敗走記」水木 しげる 著

    1970年に発表され、のちの「総員玉砕せよ」につながる水木しげる戦争漫画の代表作のひとつ。表題の「敗走記」のほか「ダンピール海峡」「レーモン河畔」「KANDERE」「ごきぶり」「幽霊艦長」が収録。数年ぶりに再読して、ふと感想書いていなかったことに気付いたので、その中から特に面白かった、「敗走記」「ダンピール海峡」「レーモン河畔」「幽霊艦長」の感想を簡単にメモ。 人の経験もあるが基的には真山という水木の友人の体験を中心に構成された作品だが、主人公は「水木」とされている。昭和十九年南太平洋ニューブリテン島で孤立した主人公「水木」の脱出劇で、とにかく絶望的な状況で九死に一生を得る過程が描かれるのだが、命からがら逃げ延びた彼に、司令部は酷い対応をするのだった・・・ 最後の「戦争は 人間を悪魔にする 戦争をこの地上からなくさないかぎり 地上は天国になりえない」というコメントは、その後の水木しげる

    「敗走記」水木 しげる 著
  • 「居酒屋の誕生: 江戸の呑みだおれ文化」飯野 亮一 著

    幕末に日を訪れた外国人が驚いたことの一つに、日人がひどく酒癖が悪いというものがある。例えばヘボン式ローマ字で知られるヘボン(日在住1859~92)は昼間っから酒を飲んで酔いつぶれ、あるいは大暴れしている人びとの多さに驚き、また酔って仕事もままならなくなる日人家事使用人たちに悩まされている。せめて仕事中ぐらいは酒を飲まない労働者を雇えないかと日人商人に尋ねるが、そんな日人を見つけるのは難しいと言われて途方に暮れていた。他の外国人もすっかり出来上がった武士の姿に恐怖を感じている。昼間っから刀持った酔っぱらいが歩いているんだからそりゃ怖い。ヘボンに遡ること三百年、ルイス・フロイスも戦国時代の日人の酒癖の悪さを書き留めていて、もちろん欧米でも酔っぱらいは多かったものの、西洋人からは日人の酔い方は度を越して酷いと見られていた。 武士も町人も昼間っから酒を飲んで仕事もそこそこに、そこら

    「居酒屋の誕生: 江戸の呑みだおれ文化」飯野 亮一 著
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