「野党が解散権を握る政局なんてない。こんなチャンスに何をやっているんだ」――。自民党の石原伸晃幹事長にこう喝を食らわしたのは、政界と縁を切ったはずの小泉純一郎元首相(70)だ。7月28日、都内のホテルで偶然、伸晃に出くわすと、10分間にわたって叱責したという。 小泉がハッパをかけた相手は伸晃だけではない。7月末には突然、大島副総裁に電話を入れ、「今が勝負時だ。3党合意なんて破棄しろ」と迫ったというし、7月中旬には都内某所に谷垣総裁を呼びつけ極秘会談。「消費税を人質にして、野田首相に解散の確約を迫る。増税法案を通してからでは相手に逃げられるだけ。不信任案を出してでも、解散に追い込め」と説教を垂れたというから、「政界の黒幕」そのものだ。 こうなると、小泉ジュニアが谷垣に「3党合意の破棄」を直訴したナゾも納得である。 「実際、進次郎議員が3党合意破棄の口火を切った途端に、自民党内の倒閣ムー
2012年10月26日22:42 カテゴリ井口博士NWO関連 「ナイ–アーミテージ・シナリオ」のそろい踏み:「日中戦争」で極東を分捕る戦略 井口博士のサイトより http://quasimoto.exblog.jp/19106118/ <転載開始> みなさん、こんにちは。 ジョセフ・ナイ、リチャード・アーミテージ、カート・キャンベルなどのNWOネオコンがそろい踏みとなったようである。 「日本の原発ゼロ容認できぬ」アーミテージ・ナイ両氏 本社・CSISシンポで米知日派の元政府高官 2012/10/26 16:03 日本経済新聞社と米戦略国際問題研究所(CSIS)の共催で26日に都内で開いたシンポジウムで、リチャード・アーミテージ元米国務副長官とハーバード大のジョセフ・ナイ教授は野田佳彦政権が打ち出した2030年代に原発稼働ゼロを目指す方針について「受け入れがたい」と強調した。 本社・CSIS
尖閣諸島に上陸した中国人グループらを支援するパトロン的存在の劉夢熊・中国人民政治協商会議(政協)委員は、再上陸を否定した。そして、劉氏は前回の上陸には習近平が関与していることを指摘した。取材にあたったジャーナリストの相馬勝氏が報告する。 * * * 劉氏は香港保釣行動委員会の船が8月12日、香港海上警察による出港阻止命令にかかわらず航行できたのは、「中国政府が黙認したからだ。私はその一部始終に関わっている」と述べ、8月の尖閣上陸事件の真相を語り始めた。 劉氏によると、香港の「保釣運動」はその時々の日中関係と密接に関係している。関係が悪化すれば、中国政府は香港の保釣団体を利用して尖閣海域に侵入するよう仕向けてきた。1996年と1998年に香港船が領海侵犯したが、その後は今年8月まで出港を許されたことはなかったという。 「私はこれまで何度も、香港における中国政府の代表部である中央政府駐香港聯絡
『暗黒夜考~崩壊しつつある日本を考える~』から 【スーパーバカ列伝】 ● ”ゴロツキ右翼”石原慎太郎 ~核武装・徴兵制・尖閣とバカ息子に賭けた総理の夢~ 尖閣諸島を巡っては、日々、日中関係は悪化の一途を辿り”一触即発”一歩手前の状態であるが、事の発端は石原バカ都知事がアメリカの「ヘリテージ財団」主催のシンポジウムにて講演した際に発した「尖閣購入」発言である。 以前のエントリーにてコメントしたとおり、”息子”ブッシュ・ネオコン政権の裏側で暗躍した”極悪シンクタンク”「ヘリテージ財団」のシンポジウムにて「尖閣購入」が宣言されたことが意味するところは、日中間に”意図的”に緊張状態を創出することにより米軍需産業の「武器・弾薬・軍用機の一掃セール」に加担することに他ならない。 ここまで騒ぎを大きくした張本人であるという自覚もないのか、そんな石原慎太郎が性懲りもなく、尖閣購入資金として集まった寄付金1
尖閣諸島をめぐる中国の反日運動はおさまらず、一向に出口が見えない。一体どうすればこの問題は解決できるのだろうか? その方法を探るべく、新党日本代表・田中康夫衆院議員が、国際情勢の裏事情に精通する孫崎享氏を直撃!! 【田中康夫氏】 ’56年生まれ。衆議院議員、新党日本代表、作家。長野県知事、参議院議員などを歴任。著書に『田中康夫主義』(ダイヤモンド社)など。www.nippon-dream.com/ 【孫崎 享氏】 ’43年生まれ。’66年に外務省に入省、駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使、防衛大教授などを歴任。著書に『戦後史の正体』(創元社)など ◆紛争を避ける英知を持っていたかつての保守政治家に学べ 田中:日中関係が、尖閣問題で極度に悪化しています。日本人の中にも、中国に強硬な態度を取ることが“愛国”だと考える人も出てきている。もちろん、中国で日系企業が襲われたり、日本車が
「尼崎連続変死事件」で主犯格とされている角田美代子容疑者。養子縁組を悪用することで警察の介入を妨げたと報道されているが、その手口は暴力団や闇ビジネス関係者が良く使っているもの。誰かが角田容疑者にこの支配と暴力のスキームを伝授したはずである。 窪田順生氏のプロフィール: 1974年生まれ、学習院大学文学部卒業。在学中から、テレビ情報番組の制作に携わり、『フライデー』の取材記者として3年間活動。その後、朝日新聞、漫画誌編集長、実話紙編集長などを経て、現在はノンフィクションライターとして週刊誌や月刊誌でルポを発表するかたわらで、報道対策アドバイザーとしても活動している。『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)で第12回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。近著に『死体の経済学』(小学館101新書)、『スピンドクター “モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文
尼崎連続殺人角田容疑者のとった手法「戸籍ロンダリング」とは(2ch)やはり元凶はコリアン 主犯も本人かどうか実は不明 http://www.asyura2.com/12/social9/msg/171.html 投稿者 木卯正一 日時 2012 年 10 月 31 日 12:11:03: xdAt6v.ugMgqA 1:おじいちゃんのコーヒー ◆I.Tae1mC8Y @しいたけφ ★:2012/10/30(火) 10:19:38.67 ID:???0 連日のように報道されているものの、いまだに多くが謎に包まれている「尼崎連続変死事件」。 関係者から証言される残忍極まりない手口と増え続ける死者に背筋が凍りつく一方で、ぶっちゃけ何が何だかよく分からないという人も多いのではないか。 その原因は、複雑に入り組んだ人間関係だ。 ワイドショーやら週刊誌では人物相関図を作って解説をしているが、「戸籍上の
角田美代子容疑者に“戸籍ロンダリング”を伝授したのは誰なのか?・・黒幕がいるはず! http://www.asyura2.com/12/social9/msg/168.html 投稿者 墨染 日時 2012 年 10 月 30 日 11:13:23: EVQc6rJP..8E. http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1210/30/news019_3.html 「尼崎連続変死事件」で主犯格とされている角田美代子容疑者。養子縁組を悪用することで警察の介入を妨げたと報道されているが、その手口は暴力団や闇ビジネス関係者が良く使っているもの。誰かが角田容疑者にこの支配と暴力のスキームを伝授したはずである。連日のように報道されているものの、いまだに多くが謎に包まれている「尼崎連続変死事件」。関係者から証言される残忍極まりない手口と増え続ける死者に背筋が凍りつく一方で
竹崎博充最高裁長官は、27日から訪米中であるが、何故、小沢一郎判決を目前にした今、訪米しなければならないのか?11月12日の小沢一郎判決と、その直前の竹崎博充最高裁長官の訪米は無縁なのか? 竹崎最高裁長官、訪米へ=23年ぶり、交流目的 時事通信 10月26日 15時35分配信 最高裁の竹崎博允長官が、日米両国の最高裁の交流を深めることを目的に、27日から訪米する。長官の訪米は1989年の矢口洪一氏(故人)以来で、23年ぶりとなる。 最高裁によると、米国滞在中はワシントンで連邦最高裁のロバーツ長官らと意見交換する他、ニューヨークではコロンビア大で日本の裁判員制度について英語で講演し、米同時テロ現場での献花も予定している。11月2日に帰国する。 (時事通信) いま、この時点での「23年ぶり」の最高裁長官の訪米とは何か。 ・
江田五月と竹崎博充。最高裁長官・竹崎博充は、民主党で法務大臣を務めた江田五月と小中高を経て大学まで同窓であった。 http://www.asyura2.com/12/senkyo137/msg/926.html 投稿者 笑坊 日時 2012 年 10 月 30 日 23:31:24: EaaOcpw/cGfrA 竹崎博充最高裁長官と江田五月議員 http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20121030 2012-10-30 文藝評論家・山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』 江田五月と竹崎博充。最高裁長官・竹崎博充は、民主党で法務大臣を務めた江田五月と小中高を経て大学(東大法学部)まで同窓であった。ー「小沢裁判」と「最高裁スキャンダル」再考(11) 偶然かもしれないが、あるいはそれなりの理由があるのかもしれないが、「小沢事件」と「小沢裁判」に深くかかわったは
1953年4月24日に行われた第3回参議院議員通常選挙で当選したときの松本治一郎、世界通信より 松本 治一郎(まつもと じいちろう、1887年〈明治20年〉6月18日 - 1966年〈昭和41年〉11月22日)は、日本の政治家、実業家。部落解放運動を草創期から指導し、部落解放同盟からは「部落解放の父」と呼ばれる[1]。堂々たる顎髭の風貌から「オヤジ」と呼ばれ親しまれた[要出典]。元参議院副議長。 経歴[編集] 福岡県那珂郡金平村(現在の福岡市東区馬出)に生まれる。出生名は松本 次一郎[2]。父・次吉(村会議員)、母・チエの末子(五番目の子)で、上には兄二人(上から治七、鶴吉)、姉二人がいた[3]。治一郎は後年、60歳のとき「私は被圧迫部落の貧農の子として生まれた」と語っている[4]。父・次吉は貧しい暮らしを少しでも向上させようと、すすんで下駄、雪駄など履物製造販売の副業に取組んだ[4]。次
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く