自分は、いわゆるおっさんになった。 ここで言うおっさんは三十路のおっさんだ。 10年の人生を三回も生きて、自分の弱さを知った。。 だからどうか知らんが 7年後の未来を直視して、そのために今から全力で生きろなんて言われたら耐えられない。 もうそれ言われるだけで、全てのやる気を失うぐらい。耐えられない。 おっさん限らずに、世の中の大人と言われるモノ達で この重圧に耐えられる人間はいるんだろうか。 じいっちゃんばあちゃんは、死んでるかもしれないし。 お姉さんはおばさんになる。 お兄さんは加齢臭だして禿げる。 これを直視しながら、それに向かって頑張れなんて言えるのだろうか。 だけど、僕を含めた彼らは言う 7年後の日本を背負う若きオリンピック選手よ。頑張れと。 まだ7の2倍にも届かない若者達に、期待という無自覚な悪をぶつける。 若者達は好きのその先を目指して全力で頑張っている。 その若者たちに、7年
俺はメンヘラに冷たいし脳の良心を司る部位にまったく血が通ってないクソサイコパス野郎だから、インターネットに「死にたい」とか書き込む奴には絶対に同情なんかしない。バカだと思う。 人間は、自分が信じてることを言うんじゃない。 人間は、自分が言ったことを信じてしまう。 「死にたい」と言葉を発してはじめて、なるほど、俺は死にたいのだな…と納得する。そうして「俺は確かに死にたいはずだ」と、自分が死にたいと思うに値する、確実と思われる証拠を集めはじめてしまう。私はかくの如き状況下に置かれている。これはとてもつらい。ゆえに死にたくなるのも当然である。あなたもそう思うであろう。そういうふうに、実に論理的に考える。 そうして「死にたい」が自家中毒を起こして、ますます「死にたい」としか思えなくなる。バカだなと思うけど。 文章を書くとは、自分の体に毒を回すことでもある。書いた以上は、その書いた文字の表すとおりに
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