青年海外協力隊としての任期を終える直前、吉岡さんにとって運命的な出会いがあった。伝説の報道カメラマン、岡村昭彦氏(故人)。彼が放った一言は若き吉岡さんを打ちのめしたばかりか、生き方までも変えてしまう。 岡村昭彦さん(注)にね、「キミは報道写真を撮ってはいけない」って言われたんだ。頭ごなしにね。「先にテクニックを覚えてしまってるから」って。ショックだったね。頭をガーンって殴られた感じだった。だって、それじゃオレ、何のために写真の専門学校に行ったかわかんないじゃない。オレの生き方とか存在を全否定された感じがしたよね。 岡村さんは「報道写真は『撮る以前』が大事。被写体、撮る対象についての知識、見識や自分なりの見方がないと撮ってはいけない」って言うんだよ。その後も何回か会ったんだけど、その都度ボロクソ言われてね。でも一方でなにくそ!って気持ちもあった。「冗談じゃねえ! オレなりのやりかたでもできる
取材ノート ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。 夕闇が迫る国道をフルスピードで疾走していたワゴン車が突然止まった。検問だ。若いカンボジア兵士が自動小銃を窓からこじ入れて銃口を車内の私たちに向けた。1970年5月、米・南ベトナム政府軍によるカンボジア進攻作戦を取材したときのことだ。 南ベトナムに特派されたばかりだった私は、米ABCテレビがチャーターした車に便乗し、国境を越えて国道1号線を西進した。数日前、フジテレビの高木祐二郎特派員ら外国報道陣4人が相次いで行方不明になった地域にさしかかると、ドン・べーカー特派員自らが自動小銃を構え、ベトナム人の助手がピストルを握りしめた。車内の緊張は頂点に達していた。 そこに兵士たちが降ってわいたのだった。私たちは彼らの制止を振り切ってそのままメコン河岬の町ネアクルンまで突っ走り、南ベトナム海兵隊の前
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