タグ

2014年11月6日のブックマーク (4件)

  • われら六稜人[43]メディアの人…報道の現場を歩んで:北野栄三さん(5)「ベトナム報道」

    nerory2
    nerory2 2014/11/06
    『サンデー毎日』 岡本博という編集長 ベトナムをやろうと。無名のカメラマン兼ライターの岡村昭彦さんを使いまして 新聞社の通常の通信のルート以外のルートでベトナム報道に火を点けたんですよ
  • 第6回新聞記者・作家 吉岡逸夫さん-その2-二度目のエチオピアが人生を変えた|魂の仕事人|人材バンクネット

    青年海外協力隊としての任期を終える直前、吉岡さんにとって運命的な出会いがあった。伝説の報道カメラマン、岡村昭彦氏(故人)。彼が放った一言は若き吉岡さんを打ちのめしたばかりか、生き方までも変えてしまう。 岡村昭彦さん(注)にね、「キミは報道写真を撮ってはいけない」って言われたんだ。頭ごなしにね。「先にテクニックを覚えてしまってるから」って。ショックだったね。頭をガーンって殴られた感じだった。だって、それじゃオレ、何のために写真の専門学校に行ったかわかんないじゃない。オレの生き方とか存在を全否定された感じがしたよね。 岡村さんは「報道写真は『撮る以前』が大事。被写体、撮る対象についての知識、見識や自分なりの見方がないと撮ってはいけない」って言うんだよ。その後も何回か会ったんだけど、その都度ボロクソ言われてね。でも一方でなにくそ!って気持ちもあった。「冗談じゃねえ! オレなりのやりかたでもできる

    第6回新聞記者・作家 吉岡逸夫さん-その2-二度目のエチオピアが人生を変えた|魂の仕事人|人材バンクネット
    nerory2
    nerory2 2014/11/06
    被写体を理解するまでシャッターを押しちゃいけないんだったら頭の悪い俺はいつまでたっても撮れない。そうじゃない撮り方、劣等生ならではの撮り方が必ずあるはずだって。それを確立したかった。
  • Internet Photo Magazine Japan

    nerory2
    nerory2 2014/11/06
    吉江雅祥(元朝日新聞写真出版部長)//1968年5月ベトナム//ライカを使っているカメラマンがライカを使う理由は「とにかく壊れない。故障しない」だった。
  • ベトナム戦争 | 取材ノート | 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC)

    取材ノート ベテランジャーナリストによるエッセー、日記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。 夕闇が迫る国道をフルスピードで疾走していたワゴン車が突然止まった。検問だ。若いカンボジア兵士が自動小銃を窓からこじ入れて銃口を車内の私たちに向けた。1970年5月、米・南ベトナム政府軍によるカンボジア進攻作戦を取材したときのことだ。 南ベトナムに特派されたばかりだった私は、米ABCテレビがチャーターした車に便乗し、国境を越えて国道1号線を西進した。数日前、フジテレビの高木祐二郎特派員ら外国報道陣4人が相次いで行方不明になった地域にさしかかると、ドン・べーカー特派員自らが自動小銃を構え、ベトナム人の助手がピストルを握りしめた。車内の緊張は頂点に達していた。 そこに兵士たちが降ってわいたのだった。私たちは彼らの制止を振り切ってそのままメコン河岬の町ネアクルンまで突っ走り、南ベトナム海兵隊の前

    ベトナム戦争 | 取材ノート | 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC)
    nerory2
    nerory2 2014/11/06
    鳩元啓三郎  その死を誰よりも悼んだのは師匠の岡村昭彦氏 よりによって世界中のメディアに配信されるAPのカメラマンと同行するなんて。岡村氏は「そのことが悔やまれる」と声を落とした。