過去の官邸ホームページ上で公開していたコンテンツは、国立国会図書館の「インターネット資料収集保存事業(WARP)」ホームページでご紹介します。過去のコンテンツは下記のリンクからもご覧いただけます。 ※掲載されている情報は収集当時のものであり、表示崩れやリンク切れが発生している場合があります。ご注意ください。 内閣総理大臣 アーカイブ
![「桜を見る会」開催要領 | 平成24年2月28日(火)午前 | 平成24年 | 官房長官記者会見 | 記者会見 | 首相官邸ホームページ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/65a00daa0954c16b6c9e141e4af451f8d8cf9984/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.kantei.go.jp%2Fjp%2Fn5-common%2Fimg%2Fkantei_ogp.jpg)
みなさま、「マスターベーション右翼」の大爆笑的なズッコケ、おめでとうございます。 「マスターベーション右翼」とは、いわずと知れた[安倍晋三的なもの=2ちゃん右翼的なもの=少し前までの『正論』『諸君!』的なもの]。私のいう「ヘタレ保守」の一種です。 さて、残るは(残っているんだな、こいつが…)「教条主義左翼」の粉砕でございます。 平和主義が大切だとか、アンチナショナリズムだとかほざくのが「教条主義左翼」ですね。この手の輩を葬送する本を、藤井誠二氏と、ただいま鋭意執筆中でございます。 We must change to protect the same. 意訳すると「大切なものを守るために変わらなくてはならない」。 これが保守というものの、近代社会や近代主義と両立可能な本義本懐でございます。 「マスターベーション右翼」と、私(たち)と、どちらが「保守」でしょうか。 つまり、どちらが「大切なもの
9月22日に「パントマイムの神様」ことフランスのパントマイム俳優マルセル・マルソー氏が84歳で亡くなりました。「沈黙の詩人」などとも呼ばれた故人のパフォーマンス映像を集めてみました。言葉をまったく使わずに動きだけでさまざまなことを表現する様子には舌を巻いてしまいます。 ムービーの再生や素顔の写真は以下から。 30秒ぐらいから短い作品が流れる。 YouTube - MARCEL MARCEAU Tribute 1923-2007 「BLACK & WHITE」というスコッチのCMらしい。 YouTube - Marcel Marceau マルソー氏が1960年に来日した際のニュース映像か。手だけで魚やチョウチョを披露。 YouTube - NEW! Rare video of Marcel Marceau (1923-2007) パントマイムが2つ。10分とムービーは長いが、それだけの面白さ
福田政権、「小さな政府」をなし崩し転換へhttp://www.news.janjan.jp/government/0709/0709242891/1.php もし、お気に入っていただければ記事下部のボタンのクリックをお願いします! 所詮、「小さな政府」など無理だったのです。グローバリズムをやるならやるで(私は賛同しませんが)、それなりの大きな政府が必要です。 それさえなかったから、小泉・安倍路線の破綻は当然だと思います。福田さんは「なし崩し的」転換です。 今後は、 「グローバリズムを規制して、福祉など費用を抑えるのか」 「グローバリズムを進めつつ、福祉を大きめにするのか」 あたりが経済政策の議論の争点になりそうな気がします。ここでいうグローバリズムとは、規制緩和や民営化のことと、大体イコールと考えていただいて結構です。 さらにいえば、規制緩和も実は 「事後規制を重視するのか」 「事前規制を
私の時事評論等です 文化関係の記事は、 【観劇レビュー&旅行記】(ブックマークのTOP) で書いています ちょっと前の、ある方の自○党政治家への痛烈な批判を御紹介します。 【私は自○党員でもないし、政治家でもないから自○党内で何のために喧嘩しているのか知らないし、知ろうとも思わないが、どうせ、両派共利己的なことで、ゴタゴタやっているので、主義方針の為に闘争しているのではないらしい。 (中略) 今の日本に利己的なことを考える余地があるだろうか。 自分の住んでいる家の軒は傾き、柱は曲がり、屋根の一部には火がついている様な時に、自分の居る部屋だけ良くしようとしたり、自分の部屋を広げようとする無意味を考えないのか。 こんな根本的のことで、こんな幼稚なことが了解出来ないのなら、政治家気取りは止めて貰いたい。 (中略) 又、総裁派の一部の人は、今総理が辞めたら後に人が居ない。後継者を考えずに辞めること
90年代後半、宮台真司の言葉は女子高生に届いていたのか、それに対して小林よしのりの言葉は誰に届いていたのか、というのは再検討に値するテーマだと思う。学者先生や院生さん - スマイル・トレーニング・センター 前回こう書きましたが、これはけっこう重要な問題と思っていて、このエントリでは90年代後半の宮台真司のことを思い出してみる。 荻上:95年に神戸の地震、オウム、エヴァンゲリオンブームなどもありましたが、やはり「95年以降」で雰囲気が変わったというイメージですか? 宮台:そう。でも、そう思うようになったのは時間が経ってからだよ。95年当時は、『終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル』(筑摩書房、1995)で書いたように、「オウム的なもの=男の子的なもの」を「ブルセラ的なもの=女の子的なもの」がほどなく凌駕すると予想していた。「オウム死してブルセラ残れり」が僕のイメージだった。時代は
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