![石原慎太郎氏:今、明かす「天罰発言」の真意](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/27d30969f6594c6073df51c74f6ccd0eac04c239/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fbusiness.nikkei.com%2Farticle%2Finterview%2F20150302%2F278140%2F032800006%2Ffb.jpg)
44歳で人生初の転職をした神田次郎さん(仮名)。きっかけはリストラだ。新卒で大手ソフトウエア開発会社に入社。技術部門の課長としての年収は1000万円を超え、「勝ち組」人生を送っていたが、2015年5月末、事業再編を理由に突然の〝雇用関係の解消〟を言い渡される。 「部長に呼び出された時は、そんな話だとは夢にも思わず、宣告された瞬間は頭が真っ白になりました」と神田さんは当時を述懐する。 会社が決めた退職日は、3カ月後。転職活動に有利な「自己都合」での退職扱いとし、年収2年分の一時金を支払うという。一瞬絶望の淵に叩き落とされたが、神田さんは腹をくくって、翌日から転職活動をスタートした。 あきらめてもらった夏休みの旅行 書店で転職ノウハウ本を買い、40代以上で転職活動を経験した人たちのブログを読みあさった。半年前に同じようにリストラされた先輩にも会いに行った。40代の転職は非常に厳しいものの、可能
2011年3月11日、午後2時46分。三陸沖を震源とする大地震が日本を襲いました。死者約1万6000人、負傷者約6000人、行方不明者約2600人(2011年9月11日時点)に及ぶ大惨事に発展した。 こうした中、自衛隊は「10万人体制」を展開。約1万9000人を救助しました。救助された約2万8000人(2011年3月20日時点)の7割に相当します。これは、自衛隊が発災から72時間で3万人近い部隊を現地に集めたことが効を奏したから。その背後には、火箱さんが辞任を覚悟で決めた「即動」が大きな役割を果たしました。 火箱:当時、私は陸上自衛隊(以下、陸自)で幕僚長(以下、陸幕長)*を務めていました。救助部隊を少しでも早く現場に急行させるため各部隊に出動を命じました。災害に遭った人の生存確率が高いのは発生から72時間と言われています。危機的瞬間には手続きの万全さより迅速・実効性ある行動が勝ると思い、
佐藤 健宗 (さとう・たけむね) 1958年兵庫県明石市生まれ。1978年京都大学法学部入学。1985年京都大学卒業。1989年弁護士登録(京都弁護士会、41期)。1994年兵庫県弁護士会に登録替え。「佐藤健宗法律事務所」を開設、現在に至る。これまで取り組んできた主な社会的事件に、信楽高原鉄道列車衝突事故(平成3年)、JR西日本福知山線脱線事故(平成17年)。 結論からお聞きします。ラッシュの時にトラブルを起こして電車を大きく遅延させると、本人あるいは親族が鉄道会社から巨額の賠償金を請求される、というのは本当なんでしょうか。 佐藤:私も弁護士になって随分たちますが、10年ほど前までその答えを知りませんでした。都市伝説なのか真実なのか、皆さんと同じように疑問に思っていたんです。実情を知ったのは、1991年に発生した信楽高原鉄道列車衝突事故の遺族側の代理人となったことを機に、鉄道事故裁判という
スタジアムでサッカーを見る楽しさの半分以上は、サッカーそのものとは別のところにある。 観戦の醍醐味について述べるなら、ディフェンスラインの駆け引きや、サイドチェンジのパスの軌跡が、スタジアムの座席からでないと真価の見えにくい技巧である一方で、ドリブル突破の際の細かいステップワークや密集の中での選手同士のボディコンタクトの詳細は、テレビ画面を通してでないと把握できない。それゆえ、競技としてのサッカーの全貌をあますところなく堪能するためには、スタジアムでゲームをひと通り見た後に、帰宅後、あらためて録画を確認する必要がある。 ただ、競技としてのサッカーを観戦することとは別に、スタジアムには、「共同性」の魔法がある。 別の言い方で言えば、大勢の人間と同じ場所で同じ偶発事件を注視する共同体験の一回性が、半ば群棲動物であるわれわれを陶酔させるということだ。 同じプレーに歓声をあげ、得点に跳び上がり、パ
3月6日夜、米軍はTHAADの機材を韓国に持ち込み始めた(提供:U.S. Force Korea/AP/アフロ) 始まった「韓国イジメ」 「中国がイジメる!」と韓国人が騒いでいます。 鈴置:在韓米軍へのTHAAD(=サード、地上配備型ミサイル迎撃システム)配備が始まりました。THAADの配備予定地は慶尚北道・星州(ソンジュ)のゴルフ場です。 2月27日にゴルフ場の所有者である韓国ロッテグループが軍用地との交換を役員会で決めました。翌28日に韓国軍と正式に契約。韓国軍がゴルフ場を米軍に提供します。 THAAD配備を拒否するよう、韓国に圧力をかけてきた中国の面子は丸つぶれ。さっそく、韓国への報復に乗り出したのです。 広がるロッテの営業停止処分 真っ先に標的となったのはロッテグループでした。中国で展開する量販店「ロッテマート」4店舗が消防法に違反したとして3月5日までに、1カ月間の営業停止処分を
国鉄の分割民営化で、JR7社体制に移行してから4月で30年を迎える。日本国内では鉄道事業の大きな伸びが見込めない中、いかに多様な事業で稼ぐかが各社の課題だ。なかでも駅の不動産を活用した、商業施設は不可欠ともいえる多角化事業だ。JR東日本は、駅ビルの「ルミネ」「アトレ」などを積極的に手掛けJRグループ内でも「成功事例」とされてきた。ただ最近は、業績が伸び悩み、JR東日本グループ流通事業の幹部からは「立地に甘えがあった」との声も漏れる。幹部3人のインタビューでは、足りない部分を率直に反省しながらも、物販以外のテナントの導入強化や、海外も含む駅以外での事業展開など、積極策にも言及した。 「立地の良さは絶対的なアドバンテージだが、立地を生かすだけではこれからは生きていけない。プラスアルファの部分を付けていく必要がある」。JR東日本の子会社で、多数の駅で商業施設「アトレ」などを運営するアトレの石司次
高度経済成長期、神戸市のベッドタウンとして神戸製鋼所や川崎重工業などの若手社員がこぞって夢のマイホームをこの地に買い求めた。 プレハブ工法を中心とした住宅。各家にはマイカーが置かれ、庭には色とりどりの花が植えられていた。同世代の子育て世代が集まり、経済成長を遂げた豊かな生活を享受する場となった。 それから約40年以上が過ぎ、現在の緑が丘ネオポリスの様子が下の写真だ。30歳代が中心だった当時の入居者は70代を迎え、地域3400区画の高齢化率は39.5%。今では三木市全体が消滅可能性都市の一つとされている。 緑が丘ネオポリスの最寄り駅、神戸電鉄・緑が丘駅を降りると、駅前のロータリーには乗用車は殆ど見当たらない。近隣の私立大学に通う学生向けシャトルバスが寂しくたたずむばかりだ。1970年代後半から神戸市で地下鉄網が広がり、神戸電鉄沿線への新規流入数は減っている。 それでも8割の住民は住み続けたい
お盆休みはあっという間に過ぎた。 毎年のことだが、なにもできなかった。 でもまあ、休むというのは何もしないということなのだろうからして、これはこれで良い。 ただ、ちょっと残念なのは、本を読むつもりでいた時間のほとんどを、テレビの前で漫然と過ごしてしまったことだ。 いまとなってみれば、夏休みには本を読もうなどと、中学生みたいな目標を立てていたことが恥ずかしい。ついでに申せば、その目標が達成できなかったことにも、恥辱を感じる。 で、結局、あれやこれやと文句をつけつつ、だらだらとオリンピックと高校野球を交互に見ている。 どちらかをやめるべきだと、ある男に指摘された。 どちらかというのは、高校野球とオリンピックのどちらかを見るなということではない。テレビを見るのをやめるか、ケチをつけるのをやめるのか、どちらかにしろということらしい。 まあ、おっしゃるとおりではある。 いやなら見なければ良い。見るな
かつてビジネス専門書の出版社と、自著を1万円で販売してくれ、という話をした。販売数が激減するだろうか。いや、ビジネス専門書は、実務上どうしても必要な人たちが購入する。私はサプライチェーンや調達・購買を専門としている。ニッチで、大衆向けではない。しかし、価格はどんな本でも1000円~2000円台なので、横並びはおかしいと私は感じていた。 逆に私は読者の立場でもある。仕事で必要な書籍は、何千円であっても購入している。買わずに情報を知らないリスクのほうが、はるかに高くつくからだ。情報社会では、情報入手にケチってはいけない、と理解している。 だから、価格を高くしても販売数は多少減るかもしれないものの、さほど変化しないに違いない。同種のアイデアは、私の尊敬するビジネスコンサルタント岡本吏郎さんもおっしゃっていた。 しかし、営業部門からの反対があったようで、私の本は結局2000円台に落ち着いた。いまで
今回は「時間と決断」がテーマです。 事件は、インドネシア空港を午前1時に出発した“機内”で起きた。同機は予定どおり午前8時半頃、徐々に高度を下げ着陸態勢に突入……する予定だった。 ところが、「着陸準備が出来ていません!」とチーフパーサー(CP :客室乗務員の責任者)から連絡。「エコノミークラス約70人分の食事トレーが、まだ回収できていない。もう少し待って欲しい」というのが理由だった。 そこで、機長は急遽着陸を断念。上空を旋回して待つことに。 1回目のトライアルから20分後。「着陸準備完了!」の報告を受けた機長は最終の着陸態勢に入り、同機は午前8時59分、“無事”成田空港に着陸……したはずだった。 いや、着陸はちゃんとした。だが、ホントは着陸しちゃいけなかったのである。 な、なんと恐ろしいことに何十キロもあるカート2台を、CAが座席に座り、両手で押さえたままの状態で着陸していたのだ。大惨事に
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