高度経済成長期、神戸市のベッドタウンとして神戸製鋼所や川崎重工業などの若手社員がこぞって夢のマイホームをこの地に買い求めた。 プレハブ工法を中心とした住宅。各家にはマイカーが置かれ、庭には色とりどりの花が植えられていた。同世代の子育て世代が集まり、経済成長を遂げた豊かな生活を享受する場となった。 それから約40年以上が過ぎ、現在の緑が丘ネオポリスの様子が下の写真だ。30歳代が中心だった当時の入居者は70代を迎え、地域3400区画の高齢化率は39.5%。今では三木市全体が消滅可能性都市の一つとされている。 緑が丘ネオポリスの最寄り駅、神戸電鉄・緑が丘駅を降りると、駅前のロータリーには乗用車は殆ど見当たらない。近隣の私立大学に通う学生向けシャトルバスが寂しくたたずむばかりだ。1970年代後半から神戸市で地下鉄網が広がり、神戸電鉄沿線への新規流入数は減っている。 それでも8割の住民は住み続けたい